最近のニュース − コラム
 05.12.01 


本願寺の御正忌報恩講冊子で
ご往生の西暦表記が変更されます


  「人に六字を残してご往生されました」(1262)。
 親鸞聖人の往生年月日表記は、昨年まで1262年でした。平成18年御正忌から本願寺発行の報恩講冊子をよく見ると、「1263年」1月16日と表記されています。
 これは「弘長2年」という年が、西暦1262年と1263年にまたがり、弘長2年11月28日(聖人のご命日)は、太陽暦の1263年1月16日に相当し、本来の太陽暦換算に変更したためです。

 この変更は、本願寺宗主、即如ご門主の「親鸞聖人七百五十回大遠忌についてのご消息」に「平成二十四年一月十六日は宗祖親鸞聖人の七百五十回忌にあたります」と認め、1263年を基点としたことによります。

 この年号の問題は、以前から飯茶話しで、「太陽暦換算だと宗祖は91歳」などと話題にされていましたが、あやふやにしてきた問題にメスを入れたものです。
 この陰暦から太陽暦への変更は、本願寺だけの問題ではなく、日本の歴史に関ることです。
 中外日報の社説によると赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄15(1702)年12月14日とされていますが、太陽暦換算だと翌年の1703年1月30日です。

 親鸞聖人も1262・11月と歴史書には年号だけ太陽暦で月日は陰暦で表記されています。明治5年12月3日を明治6年1月1日に改める以前、陰暦の12月におこったことは、すべて太陽暦で一年足して表記するのが正しいことになります。
 今後、日本史の歴史年代表記はどうなっていくか興味のあるところです。
 ちなみに教学本部の見解は、弘長2年を表記する場合は1262年で表記し、1月16日まで記す場合は1263年1月16日と表記するとのことです。


 西原 祐治