ダ・ビンチ・コードが大人気ですね。
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何でもそれは、キリストに妻と子どもがいたということを、レオナルド・ダ・ビンチが絵画の中に暗号として描き込んだという物語だそうです。
これに対してカトリック教団は「あくまでフィクションの娯楽作品だ」というスタンスで、キリストに子どもがいたということはあり得ないという立場だそうです。
キリストは神の子なので、人間と同じように妻も子どももいたということは認められないとのこと。
人間なのか神なのか。そこが争点のようです。
それぞれの宗教は、前提が全く異なるものなのだと、興味深く思いました。
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では、仏教はどうでしょうか。
開祖であるお釈迦様は実在の人間でした。
名前をゴータマ・シッダルタといいます。
2500年前の北インド・シャカ国に生まれた王子様でした。もちろん父と母がいて、自身も結婚し、子どももいました。
何不自由ない豊かな生活。満たされた欲求。王になることが約束されたバラ色の将来。我々がうらやむ全ての要素を手にしながらも、シッダルタ王子は満ち足りなかったのです。
「人間であるが故に老い・病み・死んで行かねばならない事実。地位も名誉も財産もあらゆるものが薄っぺらであり、確かなものではない」と。彼はそれに気付き、出家しました。
やがて「人間であることの苦悩を超えていく道を悟った人=ブッダ」となりました。
ですから、子どもがいるかいないか、人間か神か、仏がいるかいないかということは、全く問題にならないのです。
“苦悩する私 ”が出発点です。
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人間であるということ。それから逃げられない私。苦悩を超えていく道を求めずにはおれません。
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菅原 智之 |
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