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 06.08.16


「ゲド戦記」を見て感じたこと


 巷で話題の「ゲド戦記」を見ました。詳しい内容については皆さん個々に映画を見ていただくこととして、今回はその背景から感じたことを少し書かせていただきます。

 「ゲド戦記」は「ロード・オブ・ザ・リング」「ナルニア国物語」とならんでファンタジー三部作と呼ばれているのだそうです。
 ファンタジーつまり空想や幻想といった現実とはかけ離れた世界の物語には私もひきつけられるものがあります。特に中学生のころにはファンタジーの本やゲームにのめりこんでいたこともありました。

 しかし、これらファンタジーの世界はいずれも空想の世界である一方、描かれるのはきわめて有機的な存在である人間に対する深いメッセージがあります。
 人間同士の繋がりが希薄であるといわれる昨今、こういった作品が注目されるのは、なんだか矛盾しているようですが、おもしろく感じられます。

 「ゲド戦記」では終始一貫して、消費社会への批判と、死というものに対して人間がどのように向き合ってゆくのかが描かれています。
 私は僧侶でありますので、このように物語を短いセンテンスでまとめてしまうと、これは仏教そのものであるとも思えるのです。
 そう考えると、一方は世間から注目を受けているのに対して、仏教が昔と比べて世間に入り込めていないのは単純に手法の違いだけなのではないかとさえ思ってしまいます。

 このような話を友人の僧侶と話していたところ、こんなことをいわれました。
「それが仏教だと考える自分たちこそ、仏教を実生活から遠ざけているのではないか?」
 仏教をはじめて学んだときに聞いた、釈尊は仏教を作り上げたのではなく、仏教を発見したのだ、という言葉を思い出しました。仏教という元々ある真理を私たちはある一つの手法で表現しているに過ぎないのだということでした。
 そう考えれば、私たち人間が考える物語がいずれも仏教に通じてくるというのは納得できる気がします。

 原作が書かれた40年前も、釈尊存命の2500年前も、それよりももっともっと前から、人間は結局は同じ歩みを重ねてきているのだと感じました。
 それは、表面的には時代の変化とともに変わってゆくように感じても、永遠に変わらないただ一つの真実が人間の心の奥底にはたしかに存在しているのだということでした。



 櫻井 大雄