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 06.08.16 


小泉首相の靖国参拝に抗議


 今日、8月15日、小泉首相は靖国神社に参拝しました。
 浄土真宗本願寺派は総長名で、また真宗教団連合も、直ちに首相あてに抗議文を提出しています。本願寺のホームページを是非ご覧ください。

 小泉首相は参拝後の談話で、「あえて15日を避けて参拝してきたが、いつも批判、反発がある。そして何とかこの問題を大きく取り上げようという勢力は変わらない。いつ行っても同じ。ならば今日は適切な日ではないかと判断した」と語っています。
 この言葉から、小泉首相は自分の意見を押し通すことしか考えていなかったことがよく分かります。もともとひとの意見を聞く気などまったくなかったため、批判を交わすことができないならば強行突破しかないということになったのでしょう。
 小泉首相にとって「適切」とは、あくまでも自分都合の「適切」ということになるのではないでしょうか。駄々っ子が、自分の欲求を押し通す姿に似ています。

 談話の中にもありました、小泉首相の、中国や韓国に対する「一つの意見の違いが不愉快だからと首脳会談を行わないことがいいのか」という言葉は、駄々っ子の屁理屈にしか聞こえず、この人がわが国の首相かと思うと赤面する思いがいたします。
 靖国問題を、外交問題にしてしまっているのは、むしろ小泉首相です。

 今、A級戦犯分祀論や戦争責任論が盛んではありますが、靖国問題の本質は、「信教の自由」「政教分離」という憲法問題に行き着かざるを得ません。靖国問題は、国民の生活そのものに関わる重大な問題です。
 小泉首相は、自身の靖国神社参拝を「憲法上の思想及び良心の自由、まさに心の問題だ」と決めつけています。
 しかし、憲法には、為政者の暴走を防ぐ役割があります。為政者(すなわち人間)の「心」が当てにならないからこそ、憲法で抑制することにより、理想の国家のあるべき姿が憲法によって求められているのです。

 聖徳太子の17条憲法の第10条に、「忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふを怒らざれ」とあります。
 為政者の姿勢を、鋭く規制しています。ひとの「心」がこだわりを持つものであることを前提とし、「われかならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ」との姿勢を守るように規定しています。
 1400年前の憲法にして、わが「心」に頼ってはならないことが示されています。

 小泉首相に、「心の問題」と「心」を大上段にかざされ、一番困惑しているは、思想および良心の自由を脅かされつつある私たち国民です。


浄土真宗本願寺派「首相の靖国神社参拝に対する抗議文」

真宗教団連合「小泉首相の靖国神社参拝に対する抗議文」


                           



 小林 泰善