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 06.10.01 


東京地裁の
「日の丸・君が代」強制違憲判決に思う


   2006年9月21日(木)に東京地裁で「君が代」強制は違憲という判決を言い渡しました。
 これは、全国の中でも強権的に日の丸・君が代を強制していた東京都教育委員会の通達に対して、教職員など401人もの原告が訴えていた裁判で、難波孝一裁判長は、教育基本法10条の「不当な支配」に相当し、教職員には憲法19条の思想・良心の自由に基づいて起立・斉唱を拒否する自由があると述べ、義務はないとする原告の主張を全面的に認めました。

 よく海外では国旗・国歌に敬意を表するのは常識という意見も聞きますが、日本の日の丸・君が代は、侵略戦争を遂行するときの「皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱」として機能したのは「歴史的事実」だと同判決は指摘しています。
 また現実に日の丸・君が代によって身心共に傷を受けたアジアの人々や日本の同朋が今もその記憶を引きずっています。
 皇軍によって殺された沖縄の人びとのことを考えれば、日の丸・君が代というものを強制することの不条理さが分かります。判決では式典での掲揚や斉唱に反対する主義・主張を持つ人の思想・良心の自由も憲法上保護に値する権利だと述べています。

 さて、相変わらずというべきか、新首相の支持率が何故これほど高いのかと首をかしげたくなる日本の状況があります。
 これは、安倍晋三首相が、非常に強く愛国心教育を唱え、そして戦争が出来る国にするために平和憲法を改変・改悪しようとしている事実に目を向けようとしない政治的な無関心、あるいは批判的姿勢が育てられない日本の教育の問題です。
 しかし、そのような人物が首相になろうとする時に、「日の丸」に対する起立と「君が代」斉唱を強制するのは良心の自由を侵害する行きすぎた措置だとした判決が下ったことはとても印象深いものでした。いよいよ平和教育、人権教育、民主教育の重要さが問われています。

 仏教を日本に導入するのに大きな功績を残した政治家、聖徳太子は自覚的な仏教徒だといえます。
 太子は、その遺言にあたる『天寿国繍帳』に有名な「世間虚仮唯仏是真」という言葉を遺しています。
 世間とは、この世の常識、価値のことで、それが虚仮、つまり、虚ろなるもの仮なるものだというのです。
 権力という言葉がありますが、元々、この言葉は文字通り、権(ごん)、権(かり)なる力という意味です。つまり暫定的に、国家をまとめるために、権に力を与えられた立場を権力というのです。
 そして、唯仏是真というのは、そうした私たちの世間の常識、価値の虚仮なることを気づかせるもの、つまり仏というはたらきこそを真実と呼ぶのだというのです。

 憲法改変・改悪論議が今、権力を持つ政治家から提出されていますが、もともと憲法とは、国民が国家の暴走を止めるために国家に約束させるものです。
 それを権力を持つ側がその足かせをはずそうとしたり、あるいは国民に対して国を愛せよという文言をいれようとすること自体、本末転倒です。

 軍隊をなくした国・コスタリカから、コスタリカ大学のカルロス・バルガス・ピザロ教授を迎えて、参議院議員会館内第一会議室で憲法改悪を考える集いが2006年7月6日(木)午後0時半より3時まで開かれました。
 主催は、憲法共同会議、コスタリカに学び平和を考える弁護士と市民の会、平和をつくり出す宗教者ネット、平和を実現するキリスト者ネットです。私は宗教者として出席・発題しました。
 コスタリカの紹介ビデオを見ると印象的なシーンがありました。
 小学校で子どもたちに、「子どもの権利は何?」と尋ねると皆、「教育を受けること。愛されること」と答えます。では、「愛することは義務?」と聞くと、「愛することは義務ではない」と子どもたちが答えます。
 愛しなさいと強制をせまろうとする国にいる人間としてドキリとさせられました。

 平和と平等の世界、つまり浄土に向けて往生する人生を願う身として、今回の判決を通して多くのことに心を巡らせることができました。


 万木 養二