脳死移植法が施行されて、この10月に10年目に入りました。そして、この10月に2件の脳死判定が行われ、通算50件の脳死判定が行われたことになります。 この数は、アメリカですと数日で達成するのだそうですから、決して多い数ではありません。
国内で脳死による臓器移植が進まないのは、脳死移植法の脳死判定の条件が厳し過ぎるからということで、法改正を求める動きもあります。 現行法では臓器移植提供時にのみ脳死が法的に認められることになっていますが、すべての人の死を脳死時にすべきという意見があります。 現在15歳以下の脳死判定は認められていませんが、認めるべきとの意見もあります。ドナーカードがなくても家族の同意があればよいのではないかとの意見もあります。
しかし、脳死による臓器移植が進まない一番の原因は、ドナーカードがまだ充分普及されていないことにあります。 そして、普及されない理由には、「脳死は人の死」であるという、脳死による臓器移植の大前提が、まだ認知されていないという現実があるからだと考えられます。 臓器の有効利用のために、人の死を前倒しにするという、人の意図が介在する脳死判定には、納得できない人が多いのは当然のことと思います。 脳死を認めても、それは完全な死への過程にすぎないと考えている人は多いと思います。まして身内の死ともなれば、より長く生きていてもらいたいという思いは強いことと思います。 現に、ドナーカードを所持していても家族の同意を得られなかった数も多いと聞いています。
でも、人類は、新鮮な臓器を移植することにより重い病を治すことができることを知ってしまいました。 臓器移植に一縷の望みを託している多くの患者や家族の方々の思いも理解できます。その切なる思いに共感する人も多いことと思います。
科学は、便利さ豊かさ、そして医学の進歩を生み出しました。しかし、それとともに人の悩みや苦しみを増幅するという結果ももたらしました。 小欲知足と言いましても、移植を待つ患者に対しては、それは死ねということに等しいことになってしまいます。
欧米諸国は、「脳死は人の死か」という論議がなされず、科学的な立場のみを以て脳死を受け入れました。 しかし、日本の社会は、まだ受け入れてはいません。むしろこのような、悩みを共有できる日本の社会は健全であるということができるのではないでしょうか。
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小林 泰善 |
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