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 07.01.01 


企業の社会的責任(CSR)に思う

 最近CSR(Corporate Social Responsibility)という言葉を耳にする。会社が利益追従ばかりでなく社会貢献をすることに会社の社会的存在価値を見いだし、結果、イメージアップにつながる、と言うことのようだ。
 
 新年を迎え、景気の動向は決して良いとは思えないが、富裕層の存在は明かである。TV番組では豪邸に住む社長を紹介したり、セレブだと言って裕福な生活ぶりを紹介したりしている。まったく嫌気がさす。
 収益が上がれば社会貢献として、災害の被災者に物的・人的な支援をしたり、病院や学校を創設・支援、文化芸術の維持活動、福祉活動などなど、ボランティア活動に取り組むべきである。
 これらにとりくむために「企業の社会的責任(CSR)」という切り口でその企業姿勢が問われてきている。

 その取り組みは会社によって当然様々であるが、利益優先のために、おろそかになっていた環境保全、人権擁護、法令遵守、文化教育福祉向上への貢献、スポーツ振興などの本業の外での社会貢献活動に取り組んでいこうとうこだ。
 大企業ではそれなりにCSR活動が実施されているが、中小の会社や商店はまだまだと言った感が拭えない。
 ごく狭い範囲で恐縮だが、町内の商店街でもまだまだだ。雪が降ったら自分の店の前の雪かきをすればいい方、公道に違法看板、町内商店街行事への不参加、社員店員の社会人としてもモラルの低下、などきりがない。

 縁あって会社が設立され、縁あって収益が出たら、縁あったところに感謝の念をもち行動するのは当然のことと思う。それがなされていない。

 釈尊は縁起の法を説かれ「お互いに、あいより、あつまって、すべてのことができていく」「これがあるから、かれがあり、これが生ずるから、かれが生ずる。これがないとき、かれはなく、これが消えるとき、かれも消える」、「物事はすべて、原因とそれを助ける縁があって、結果が生まれてくる」と教えられました。すべて物事は、網の日のように互いに結びつき、はたらきあって、因となり縁となりあって起こっていると。
 これが「企業の社会的責任」「CSR」の原点ではないだろうか。
いまさら企業の社会的責任だのCSRだのいう前に、お釈迦さまはすでにこの事を説かれていた。

 友人の布教使さんがこんな事を言っていた。あるお座で、縁起の話しをしていたら、たまたま来ていた経営コンサルタント会社勤務の女性になぜCSRの話しをしているんですかと聞かれたそうだ。

 お釈迦さまの時代から説かれている仏法が今なお行き届かず、CSRという姿で社会に注目されていることは法を伝える側にとって複雑な気持ちである。



 白川 淳敬