安倍首相は、26日の国会における施政方針演説の冒頭で、「日本を、21世紀の国際社会において新たな模範となる国にしたい」と宣言し、「先輩方が築き上げてきた輝かしい戦後の日本の成功モデルに安住してはならない」とたしなめ、「憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは、もはや明らか」と、憲法をはじめとする国家の基本的枠組みが、もはや時代遅れであると決めつけました。
安倍首相は、憲法改正を視野に入れて、政治を進めていくとの方針のようです。防衛庁は省に昇格しました。自衛隊の海外派兵はこれからも実施されていくとのこと。現憲法の平和条項はもはや有名無実化したと言いたいのでしょう。
しかし、はたしてそうでしょうか。イラクに派遣された自衛隊が、一発も発砲することなく無事に帰ることができたのは憲法第9条があったからではないでしょうか。平和憲法があったからこそ戦後60年間の平和が保て発展をもたらしたのに、そこに安住してはならないとはどういうことなのでしょう。
時代遅れと感じているのは、政治家だけのような気がします。国際社会、特にアメリカとの関係で、日本は経済力があり強大な軍事力を持つ自衛隊があるのに国際的な軍事貢献が思うようにできないことに、もどかしさを感じているのでしょう。政府に対するアメリカの圧力は強いのだと思いますが、憲法第9条によって、日本国民のいのちが守られていることは厳然たる事実です。
仏教には戒律があります。ただし、それは厳格な禁止条項というよりも、個々の悟りへ向けての規範とすべきものでありす。不殺生戒ひとつをとっても、生き物を食さねば生きられない私たちが完璧に守ることは不可能です。しかし、守れないからといって戒律を否定する仏教者はいません。自らを戒めることがなくなったら、自らを顧み反省することもおろそかになってしまいます。自らの心を厳しく問うていく仏教の存在意味そのものがなくなってしまいます。
憲法は、国家の普遍的な理想像を追求し制定されたものだと思います。政府にとって憲法は、まさに戒律の役割を果たしているということができるのではないでしょうか。ところが、現政府にとっては、憲法の平和条項が邪魔なのです。「どうせ守れないんだから不殺生戒(第9条)をなくしてしまった方が好都合」と言っているようにしか聞こえてきません。政治家の「時代遅れ」とか「非現実的」という言葉には、政治家たちの身勝手な都合が含まれているように思えてなりません。
私たちは、政治の動きを注視していかなければならないことと思います。
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小林 泰善 |
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