はじめに
今、介護が問題としてとらえられていることが多くなっています。現実のご家族のご苦労や悩みを思うと、どうやってお力になれるのか、自分の限界を感じることばかりです。 ただ、整理して考える必要性は、感じています。「生老病死」の人間の現実と人間が作りだした制度をごちゃ混ぜにして発想すると、やり直すことはできないが、見直すチャンスはたくさんあることを見失ってしまうと思います。
ものごとは、深く関わりながら成り立っています。問題をあぶり出す発想は、その関係性をバラバラにし、否定していくことをベースにおいているのではないでしょうか。誰かのせいにしても、決して関係が深まることはありません。
むしろ、「織り直す」という肯定的な発想を大事にしたいと思います。関わりの中になる私たちが、関わりの中で問題と向きあうとき、新しい紡ぎあいが生まれてくるのではないでしょうか。
この発想から、介護を問題として分析するのではなく、お寺としてどのように関わっていけばいいのか考えてみたいと思います。2007/6/1の原稿「生老病死の分断化を防ぐお寺の活動〜赤ちゃんポストに思う〜」を参照して頂ければ幸いです。
お金ってなんだろう
介護と関わるお寺の活動として、介護現場と地域をつなぐ潤滑油として活動できないだろうかと模索しています。その一つの試みとして地域通貨を学んでいます。
地域社会が崩壊し、地域におけるコミュニケーションが希薄化することによって、ひとりでも生きていけるという錯覚を起こしやすい社会が成立してしまいました。 ほとんどのものは、お金があれば揃えることができます。コミュニケーションなんて煩わしいものをしなくても、生きていけるそんな社会のありようがあります。但し、「お金」があればという前提条件が付くわけです。
社会保障制度の問題も、お金の問題と切り離すことはできません。ここに、私たちが見失っていた大変重要な視点があるわけです。「お金ってなんだろう?」という視点です。 コミュニケーションが希薄化した社会に於いて、社会システムから完全に孤立化した人は、社会で生きていくことができません。現実に起きている「孤独死」の問題などが今の社会の脆弱さを表していると思います。お金というシステムが、人とひと、いや人と社会を紡いでいるのです。 お金は、そもそも交換システムですから、コミュニケーションが大前提になっています。社会がお金に価値を付与しなければ、孤立化した通貨はただの紙切れです。
コミュニケーションが、お金という一元的な価値観によって席巻されている。それが現代社会における大きな問題点であると思います。 介護の問題も社会保障システムとして議論するとき、それは介護保険制度にもあるように見直すことができるものです。なぜなら人間が作りあげてきたものだからです。でも、お金はかえることができないと思っていないでしょうか。
地域から発想しよう 〜顔の見える関係の重要性〜
私も実はついこの間まで、お金の問題性に気づきもしませんでした。お寺も同じ社会システムの中で、生活しているのはずなのに、完全に他人事でした。 その私に気づかせてくださったのが、ミヒャエル・エンデの発想でした、NHKで放映された『エンデの遺言』という番組の録画をみて気づかされたのでした。
番組を締めくくるセリフに「人々はお金を変えられないと考えていますが、そうではありません。お金は変えられます。人間がつくったのですから。」まさに衝撃でした。詳しいことは、機会があれば原稿にしたいと思います。
地域における顔の見える関係を作りあげていく一つの道具として、地域通貨を考えています。 地域通貨は地域を限定して機能する交換システムです。「円」に両替することはできません。したがって、「円」を否定するものではありません。「円」という普通通貨とは別の価値観で地域をつなぐものです。 善了寺では、地域のNPOと提携して「地域通貨オーエン」を稼働させたばかりです。試行錯誤の繰り返しですが、地域社会がみんなでささえあっていくという発想は、顔の見える関係が大前提です。介護の町内化であり、生老病死の町内化です。 顔の見える関係を作ることその切っ掛けさえ、現代社会では作ることが難しいのが現状です。
地域通貨はお互いが地域を見直し、そして、私たちが生きる生活の場の関わりを織り直すツールとして、大きな可能性を持っていると思います。 地域社会から発想すること、隣のあのおばあちゃんを支えるためにはどうしたらいいだろうという生活の場からの発想こそ、必要とされているのだと思います。
おわりに
発想を地域社会からしていくとき、できることが見えてくると思います。ニュースは学ぶ切っ掛けです。その学びを生かすのは地域からの発想だと思います。
合 掌
成田 智信
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