地球が誕生して四十六億年。当初、地球は微惑星の衝突エネルギーによってマグマの海となり、二酸化炭素やチッソ、水蒸気などのガスに覆われていたといいます。そして少しずつ冷えてくると大気の八割を占めていた水蒸気が雨となって降り注ぎ、海ができ、その水中に生命が誕生しました。
神奈川県立 生命の星・地球博物館に三十五億年前の地球最古のバクテリアの化石が展示されています。すでに光合成を営み酸素を排出する複雑な構造をもつといわれています。この化石から推測して、生命の歴史は三十八億年とも四十億年ともいわれています。以来、生命の連鎖は、弱肉強食というなかで常に強くあれという方向に向かい環境に適応して今日に至りました。
より多くの子孫を残す。これはすべての生物を貫いている願望であり、花であれ人間であれ、それは同じです。しかし、自分の子孫を残そうとする行動は自己愛に他ならず、自分を愛するという背面には、無数の命の犠牲があります。
『涅槃経』に、「弱く愚かゆえに終わっていた人が流した涙は大海の潮より多く、苦しみの中に流した血液は大海の潮より多い」とあります。
この苦悩の涙の中に終わっていった命は、阿弥陀如来の願いとは無縁ではありません。親鸞聖人は、
如来(にょらい)の作願(さがん)をたづぬれば
苦悩(くのう)の有情(うじょう)をすてずして
回向(えこう)を首(しゅ)としたまひて
大悲心(だいひしん)をば成就(じょうじゅ)せり |
(正像末和讃『浄土真宗聖典「註釈版」』606頁) |
と阿弥陀如来の大悲の起こるおおもとに、このような無数の命の存在があったと詠われておられます。
人類が誕生して約四百万年、私たちの命を貫いている強さへの願望は、容易に捨て去ることのできないのが事実です。反面、人は強さへの憧れと共に、親が子を思いやる心に代表される「弱いものを慈しむ心」も持ち得ています。しかし悲しいかな、その思いやりは、私を、私の子を、私の国を、と私を中心としたものの考え方から離れることはできません。だからこそ迷いのなかで苦悩するすべての人間を見捨てない、分け隔てなく救わんとする、阿弥陀如来の願いを平和の礎としなければならないでしょう。
それぞれに自己愛を持ち、考え方や価値観が異なる者同士が、どうその違いと互いの弱さを尊重していけるのか。これは世界人類の課題でもあります。
私は今このご法要に遇い、戦争によって尊い命を失った方がたを偲びつつ、「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と仰せられた宗祖の言葉を胸に刻み、権力、財力、学力といった力のあるなしをえらばず、愛憎を超え、すべての人に開かれている阿弥陀如来の願いを聞き、平和への思いを新たにいたすところであります。
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