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 08.01.01 


沖縄集団自決「教科書検定意見撤回」
〜国家と軍の暴力を嘆く



・「地獄のDECEMBER(12月)〜哀しみの南京〜」

 2007年12月28日(金)築地本願寺のブッディスト・ホールで上演された、「地獄のDECEMBER(12月)〜哀しみの南京〜」(二幕)を観てきました。
 演劇鑑賞には、「感動した」などという感情表現もありますが、どちらかというとこれは首から上の問題のように思います。
 私は、芝居を観ているうちに大きなため息が続き、また内臓の動きが固まってくるような深く重いボディ・ブロウを受けたような感覚を味わいました。胃が重くなるという表現が適切です。

 劇は、70年前の日本皇軍による南京大虐殺を描くだけでなく、演ずる渡辺義治さんと横井量子さんお二人の生い立ち(日本傀儡政権の満州国や軍商の問題)と夫婦の家族の葛藤、そして現代に生きるものの課題を絡めて進みます。

 夫の渡辺義治さんはいいます。
「僕の記憶では、アメリカのイラク侵攻で多分、日本人の中で快く思っていた人間は少なかったのでしょう。正確な統計は覚えていませんが、日本人の大多数はアメリカの行為は違法で侵略だと思っていたように記憶しています。そして、アメリカ軍の捕虜や容疑者、または一般の市民に対する行為は人権的に倫理的に間違いと思っていたはずでした。
 そういう理解の仕方は大変良心的で国際社会の中でも正しく素晴らしいことですが、しかし、なぜそのような観点で自分の歴史を直視せず、南京での残虐行為、アジアへの侵略行為から目をそらすのでしょうか?」


・集団自決と軍の関与

 沖縄戦の「集団自決」に日本軍の強制があったことを削除された教科書検定問題で大きな展開がありました。

 07年9月に検定意見の撤回を求めるために沖縄県民大会を開いた実行委員会のメンバーが12月28日に、「日本軍による強制」があったというの記述を入れるとともに、軍関与を避けた検定意見を撤回するように求める要請書を提出することを決めました。

 要請書の内容は、教科書会社からの訂正申請が承認される過程で「『強制』の記述がなくなるという重大な問題が生じている」と指摘して、年明けに首相福田と文部科学省に提出するほか、出版社や執筆者にも送っています。

 この二日前の26日、文科省が教科書会社からの訂正申請を承認しています。
 それによると、「日本軍が強制した」という直接的な表現は用いられていませんが、「軍の関与」や「戦中の軍の教育」などによって沖縄の人びとが、無理矢理に自殺である自決に追い込まれたと記され、集団自決が起きたのは、結局、日本軍によるものであったと理解できる内容になっています。

 沖縄実行会の委員長(県議会議長・自民)は「検定前の記述以上に踏み込んだ訂正で、検定意見は自動的に消滅したと理解している」と今回の文科省の決定を一応は評価しています。

 しかし、県内の幅広い層の人びとは、「日本軍による強制という記述は認められておらず、集団自決の実態とかけ離れている」、あるいは、「文科省は、県民大会が求めた検定意見の撤回に応じていない」というように反発も強くみられます。
 委員長は「実質的に検定意見は消滅したと思っているが、検定意見が撤回されることがベスト」と話をしています。


・捏造、やらせ、偽装

 今年は、納豆ダイエットに始まり、捏造、やらせ、偽装が問題になりました。単に企業の経済原理追求という理由もありました。しかし、今年、自ら責任を放棄して突然辞めた元首相安倍が、かつてNHKの慰安婦番組に口出しをしたように、歴史の事実をねじ曲げる生き方が問われています。

 さらに今年は親鸞聖人流罪八百年の年でもありました。念仏を称えて生きようとすると国家によって殺され、流罪という重罪にされたのが本願念仏に生きるということです。

 いのちが国の都合によって蹂躙されたことを目の当たりにした人びとは決して、それを忘れはしません。丁度それは、今年、薬害肝炎によって自身が冒され、そして身内を奪われた人びとが国家を糾弾したように。

 承元の法難(1207)のことを親鸞聖人は『教行証文類』「流罪記録」などでしっかりと示し、唯円さまは『歎異抄』「後序」にそれを伝えます。

 教科書検定の問題は、いのちを生きたまま殺されたものの声を聞き届けることになります。それを聞き届けることで捏造や、やらせ、偽装が、犯罪として捕まるからやってはいけないのではなく、いのちを見失う恥ずかしいことであったから出来なくなるという生き方を生み出すのではないでしょうか?


万木 養二