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 08.01.16 


「後を絶たない霊感商法」




  昨年の年の瀬、テレビからは「初詣」の案内や「厄除け」に新しく「方位除け」なる新語も加わった広告が流れていた。
 相変わらず、何故、後を絶たないのか?と、腹立たしく思っていただけに、「責任はお祓いの宗教にある」と思った。


    [霊]

 古くから世界中で、人間は精神と肉体からなるという二元論を信じていた。
 日本も儒教の”魂魄”(「魂」は、人の精神をつかさどる気。「魄」は、人の肉体をつかさどる気》死者のたましい。霊魂 )という考え方によって霊が語られ、死後も肉体から離れて存在すると思っている人は今も多い。

 キリスト教もこの論理から、「復活」が説かれ、仏教の「輪廻」も同じように受け取られているのだが、間違ってはならないのは、お釈迦様は「無常」を悟られて仏陀と成られた、ということである。
 死後も自己としてあり続ける霊魂は諸行無常という悟りの基本に矛盾することになる。せめて、このことだけでも理解できたら、供養しなければならない死者や、まして、縁ある者に厄を及ぼす霊、しかも、生前の意思を持ってあたかも恨みをはらすが如きの悪霊・怨霊などは存在するはずがない事くらいは理解できるはずである。

 霊感のあると言う人は、いったい何を感じると言うのだろうか。死者の意思は生前の意思のものなのだから当然、死によって煩悩と共に滅するものである。

 遺族に遺るのは「生前に、気持ちに応えてあげられなかったなぁ」という後悔の念ではあっても、亡くなった人が死後も継続して持ち続けている思いではない。
 それをあたかも故人の思いがその人の死後もあるかのように、霊感者によって惑わされ、混同させられるのである。

 そこに金銭が絡むから詐欺であり、犯罪となる。そもそも、論理的につじつまが合わない不思議なことや、単に霊験あらたかな、と言うだけで信じるのが宗教ではない。
 教義が確かで、誰もがその教えに生きて間違いが無いという実例がある(教・行・証の確かな)ものを宗教というのである。

 口伝えや流行で”鰯の頭を”信じて救われた人や、病気が治った人がいるだけでは宗教ではない。教えの確立されていない信仰団体はどんなに歴史があり多くの信者がいたとしても宗教ではないのである。
 真実の宗教に接することなくして霊感商法の犠牲者が減ることはない。


    [詐欺の温床]

 日本社会には宗教とは言えないものや、真偽を問うことなしに習俗を正当化する傾向があり、底流にはいつの時代も神仏、儒教の入り交じった”日本教”が混然と継承され、テレビの霊視や占いもその意味で、霊感詐欺商法の温床となっている。

 受験期になると繁盛する学問の神様も、かつての天皇が左遷を命じた人事の怨みで厄が頻繁に起こるのではないかとの恐れで祠を建てたのが始まり、というのだから、他の神々も推して知るべしで、大旨、恨まないで下さい、祟らないで下さい、静かに眠っていて下さい、と祭り上げたものらしい。

 同じ発想で、好まざる種々の厄も”お祓い”と丁寧に言いながら、本心では”あっちへ行け!”なのだと思うと分かりやすい。村社会の陰湿なお付き合い作法である。
 病気が流行すると「厄除け」や「祈願」が為政者の命によってなされ、大きな天災が起こると年号を変えたり新しい天皇が即位して悪鬼神のご機嫌を伺った。

 仏教も同じだった。祈願・厄除け、の為に仏像もお寺も国家の庇護の下に建てられたのである。日本のご都合主義のものの考え方から生まれた「偽」の宗教こそが霊感商法の温床となっている。


    [真]
 
 しかし、そんな日本社会の習俗・宗教界にあって、厄除けや祈願、祈祷や先祖供養は真の宗教ではないと浄土真宗を立教開宗されたのが親鸞聖人だったことは周知の通りである。
 
 ご和讃に
 
          五濁増ごじょくぞうのしるしには
           この道俗どうぞくことごとく
           外儀げぎ仏教ぶっきょうのすがたにて
           内心ないしん外道げどう帰敬ききょうせり 


          かなしきかなや道俗どうぞく
           良時吉日りょうじつきちじつえらばしめ
           天神てんじん地祇ちぎをあがめつつ
           卜占祭祀ぼくせんさいしつとめとす


          かなしきかなやこのごろの
           和国わこく道俗どうぞくみなともに
           仏教ぶっきょう威儀いぎをもととして
           天地てんち鬼神きじん尊敬そんきょう


 現代日本の「偽の宗教」の中で、正面から「真」を問える教えは浄土真宗しかない。
 だからこそ、われわれ念仏者は僧俗共に、「外儀は真宗のすがたにて・・・」と言われないように、厳しくお聴聞させていただかなければならない。

合掌



谷山 憲丸