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 08.08.16 


「8.8チベットの平和を願うキャンドルの夕べ」

 2008年8月8日(金)午後7時から午後9時8分にかけて「8.8チベットの平和を願うキャンドルの夕べ実行委員会」の主催によって、「チベット人が、チベットで、チベット人らしく生きる日が一日も早く訪れますよう、そして、北京オリンピックという華やかな祭典のかげで、信仰・教育・文化の自由を奪われ、声をあげることすらできないチベットの人びととチベットに平和が訪れる様に祈念する夕べ」(当日、同会配布の資料より一部抜粋、抄出)が、新宿常円寺の祖師堂、及び境内にて開催されました。

 この委員会は、この6月立ち上がった「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」の関東ブロックの人びとが声を掛け、「在日チベット人コミュニティー」「TSNJサポーター有志」と共催し、「チベット問題を考える会」「アーユス仏教国際協力ネットワーク」「なあむ☆サンガ(旧南無の会青年部)」「TSNJ(TIBET SUPPORT NETWORK JAPAN)」「キャンドルナイト@TERRA」「四方僧伽」の協賛を得てわずか一ヶ月弱の間に企画されたものです。

 当日は、僧侶約30名、一般の方々が約200名近く集まりました。参加者同士の交流の時間で耳にしたのは、チベットに対する多くの弾圧に対して何かをしたいと考えていたところ、この集いを知って帰路に立ち寄ったという方が多かったということです。また当日、ヘリウムガスを充填した風船の内部にLEDライトが灯された「空中に浮かぶキャンドル」(バルーンアーチスト平野治朗氏作品)約150個に誘われて参加した方も大勢いらっしゃいました。

 私自身がそうであったように、チベットに対する中国政府の侵略は多くの人びとにあまりにも知られていないように思います。当日、会場で、岩佐寿彌監督作品の『チベット2002』というDVD記録映画を作成される方(この方はあるお寺の若坊守さんの友人)から声をかけて頂きました。譲って頂いた同DVDをもとに、簡単に現在のチベット、そしてその亡命政権がある北インドの地、ダラムサラについて以下、まとめてみました。

 チベットは、侵略前、西ヨーロッパと同じ程の面積を持つ広大な土地に遊牧民や農民が穏やかに暮らす地でした。チベットは、観音菩薩のおわす土地であり、その教えを伝える僧侶が最も尊い立場として崇められ、人びとは無駄な殺生をせず、自給自足と物々交換を中心とし、自らの魂を清める生活をしていました。その生き方は、新しいものや便利なものを求めることに翻弄されず、家族と健康に暮らすことこそが本当に幸せだと喜び合えるものでしたが、1948年の中国共産主義革命に続くチベット侵攻と同化政策で、今、その仏教文化がまったく変えられています。

 チベットはヒマラヤ山脈の北部に位置し、7世紀にインドから伝わった仏教により統一国家を形成し、その宗教と政治の頂点にあるのがダライ・ラマ法王で、輪廻転生という生まれ変わりをもとにした法王の選出方法は今も続いています。
 第二次大戦終了後にも関わらず、中国の武力介入に対する欧米の反応は鈍く、1959年チベットの人びとの不満は頂点に達し、蜂起をしますが約8000人がチベットから命がけで逃亡します。その後の数も合わせると約120万人のチベット人が中国軍によって殺され、6259あった僧院は破壊され残ったのは8つのみでした。同年ダライラマ法王も、ダラムサラに脱出します。こうして今、難民チベット人は、ダラムサラでは第二世代を迎え約7000人、全世界では約13万人といわれています。

 「同キャンドルの夕べ」の開会でWCRP(世界宗教者平和会議)の山崎龍明師は、「(チベットの現状を)知らないことは罪である」と挨拶をしました。司会をしていた私はこの言葉を受けて、「知らないことを知ることで人の行動は変わる」と、短い話をしました。実際、チベットに心を寄せることになった人びとは、チベットの人たちが本当にチベット仏教を生きているということを知ることから始まっています。

 ジョアンナ・メイシーさんは、北インドの地で難民チベット僧侶のさりげない振る舞いや言葉に大きく心を動かさた米人です。ある日、蠅が紅茶のカップに入った時、余りに難民チベット僧侶が気にするので彼女は自分は大丈夫だといいます。しかし、その僧侶はその蠅を日当たりのよいところで乾かしてやり、もう大丈夫だといいます。何と彼は蠅の心配をしていたのです。
 彼女を突き動かすことになった決定的な出来事も、思いがけないありかたでした。チベットでの中国軍による、あまりにひどい拷問や暴行を聞いていた時、その僧侶に涙があふれます。ところが彼の口に出た言葉は、「かわいそうな中国人たち。こんなひどい業(カルマ)を作ってしまって」でした。彼の涙は自分たちのためではなく、非人間的な行いを国家によって強いられた中国兵のためだったのです。ふいを突かれた彼女は、自分の慈悲などとうてい及びもつかないが、自分と同じ人間の可能性としてこんな生き方があるのだということを実感し、仏教徒になり、今は環境問題を仏教の立場から展開しています。

 私も同じです。最初、チベット人のためにと思って関わっていたことが、実はチベットの人びとから大切なことを教えて頂く契機になっていました。しかし、彼らが心から願うのはチベット人らしい生活です。それは、チベットでチベット仏教の生活習慣を保障されることです。これは、一歩踏み込んでいえば、近代社会が常識として求めている経済効率や金銭的価値観に振り回されない生き方が当たり前にできるということだと思います。
 私たち日本の仏教教団は戦前、軍部に協力し、戦争反対をしなかったという過ちを犯しました。今、私たちは経済原理でグローバリゼイションが進んでいく世の中のまっただ中にいます。チベットの人びとから教えられるのは、私たち日本の仏教者はこうしたあり方に批判も疑問も持たないでいるのは、果たして自利利他の仏教精神に背いているのではないかということです。チベット問題に関心を持つこと、それはそのまま、私の仏教者としてのあり方に改めて目を向けることだと教えられました。


本多 靜芳