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コラム 08.03.16 



63回目の夏に思う


  敗戦後63回目の夏。8月6日8時15分と9日11時2分梵鐘を撞き一分間の黙祷をする。数年前までは、広島・長崎から遠く離れた私の町でもサイレンやチャペルの鐘など聞こえてきたものですが、最近は追悼の意志を表わす音はまず聞こえてきません。

 15日、日本武道館で開催された政府主催の全国戦没者追悼式で福田首相は、アジア諸国への加害責任に触れた上で不戦の誓いを述べました。93年の細川首相の時以来、加害責任に触れた首相の式辞が恒例になっています。今回の式典で、河野衆院議長が「特定の宗教によらない追悼施設の設置について真剣に検討を」と述べたことは注目に値します。

 終戦記念日のニュースでは、式典に参加する遺族の高齢化が伝えられていました。着実に、戦争の記憶は薄らいできています。国による追悼の姿勢が定まらないまま、国民の戦争の記憶が風化しつつあることに強い危惧を覚えます。

 例年の如く靖国神社へは、小泉元首相・安倍前首相をはじめとして多くの国会議員が参拝しました。野田消費者行政担当相など戦後生まれの国会議員も含まれています。戦没者追悼の意志については否定はしません。が、それとともに靖国神社が唯一の国による追悼施設だとの示威行為に彼らが加担していることは否定しようがありません。

 戦争の記憶の風化が進むことにより、靖国神社が過去の存在となり意味を失っていくとの考え方は成り立ちません。靖国参拝に拘泥した小泉元首相、「美しい国日本」の安倍前首相、当時、靖国神社は久しぶりに国民の大きな注目を浴びました。ヤスクニの歴史を学ぶよい機会にもなりました。しかし、私たちの期待に反し、結果としては小泉路線を国民は否定しませんでした。むしろ人気を得た形となってしまいました。

 戦後『日本国憲法』で信教の自由、政教分離が保障され、国家護持を否定されたにもかかわらず、靖国神社は、不明瞭な存在のままできています。その要因は、戦前の記憶を繋いだまま形態を維持する強固な働きがあったからに相違ありません。また、戦前の教育により国民に強固に根付いていた戦前のヤスクニの思想という働きを、『憲法』という後ろ楯がありながら政治的に切り捨てることができなかった政治そのものにも原因があります。

 反面、戦争と敗戦の記憶は靖国神社を全面的に肯定することはしませんでした。あまりにも多くの犠牲を生んだ先の戦争は、イデオロギーとしての靖国の思想の台頭にブレーキをかけ続けてきました。名誉の戦死と美化するだけでは済まされない遺族の現実を、誰もが目の当たりにすることがあったからです。「もう戦争はイヤだ」という遺族の心情を、遺族でなくてもみなが知っていたからです。その声はけっして大きなものではありませんでしたが、その影響力は小さなものではありませんでした。そのような遺族は、靖国神社国家護持推進派の人々のまわりにも確実にいたのです。

 靖国神社が不明瞭な存在のまま現在に至っているのは、背景に戦争の記憶という根強い国民感情があったからだと思います。しかし、すでに政治家の中においても靖国神社国家護持の動き自体が、体験的な背景がない人々によって推進されるものとなりつつあります。戦争の記憶の風化が進むことにより、むしろ戦争を美化しイデオロギーとして先鋭化する傾向が強まってきています。そして、戦争の記憶の風化は、国民のあいだにもそれを疑問なく受け入れる土壌がなし崩し的に生れつつあると考えるべきと思います。

 私たち宗教者は、遺族の悲しみやつらさ、せつなさに直接触れる立場であります。その遺族がこの世を去り、遺族の遺族の時代になりつつある現在にあって、私たちの役割はむしろ重くなりつつあると考えます。

 先の戦争で、国家神道という宗教が果たした役割は重大なものがありました。靖国神社に対する私的参拝か公的参拝かとの論議は、靖国神社が国が関与している唯一の戦没者追悼施設との前提から生ずるものです。現在の靖国神社が一宗教法人として独自の宗教活動を進めていくことになんら異論をもつものではありません。ただし、軍の施設であった戦前からそのまま継続しているとする国立の靖国神社との幻想を否定しなければなりません。それには国が、特定の宗教によらずすべての人がわだかまりなく追悼できる新たな施設をつくることにより、靖国神社への国の関与をきっぱりと否定し、政教分離・信教の自由を現実のものとすることが喫緊の課題であると考えます。

 また更に、新たな追悼施設が第二のヤスクニにならないようにしなければなりません。国の大儀のために「名誉の戦死」と意味づけをしなければならない死者を生み出す政治を許さないためにも。

小林泰善 2008.8.19