お彼岸の由来は、多くの説がありよく分かりません。しかし、先祖祭りの行事という事には違いありません。お彼岸中は、お墓参りの人が絶えることがありません。
先日、山折哲雄さんの『親鸞を読む』(岩波新書)を読んでいましたら、山折哲雄さんは、現代日本人の「宗教ぎらいの墓好き」、「信仰ぎらいの骨好き」という状況から、鎌倉時代の仏教の改革運動が、先祖崇拝に飲み込まれてしまったと分析しています。そして、「親鸞や道元の思想は、ルターやカルヴァンの場合とは異なって、一握りの知識人の頭脳の中でしか生きのびることができなかった」と断じています。
たしかに、お彼岸やお盆は、お墓参りがとても盛んです。しかし、そこまで断定してしまって良いのかどうか疑問が残ります。
奈良・平安の仏教は出家仏教でした。仏教と庶民との接点は、加持祈祷など僧侶という選ばれた人びとから功徳を受けるという間接的なものでしかありませんでした。しかし、鎌倉仏教は、一部の選ばれた人びとが教えを独占するのではなく、仏教はあらゆる人びとに平等に直接伝えられるという大きな展開がなされたのです。特に浄土真宗は、僧侶も妻帯をし、出家の立場はとりませんでした。
江戸時代、キリシタン禁制に伴う寺請け制度が、比較的スムーズに行われたのは、すでに宗教文化が庶民の間に築かれていたからではないかと思います。村落を越えて所属する宗門が入り組んでいる状況からもそれを推測するに充分なものがあります。
「宗教ぎらいの墓好き」、「信仰ぎらいの骨好き」の状況ができてきたのは、むしろ近代以降のことではないでしょうか。明治政府の富国強兵の政策の後ろ楯となった国家神道による国民教育の徹底が、日本の宗教文化を異質なものに変貌させてしまったと言えるのではないかと思っています。
「宗教ぎらいの墓好き」、「信仰ぎらいの骨好き」という言葉、私は山折さんの本で初めて知りました。本質を外れてしまっていることを皮肉っぽく表現されているのでしょう。僧侶の間では、寺の本来の務めである伝道布教をおろそかにする僧侶を皮肉って、お骨を人質にとったような寺運営と言うことがあります。
お墓参りも大切な習慣です。仏法にあう大切な機会にしていきたいものです。
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