「築地」と聞いて「魚河岸」と連想する方は大多数ではないでしょうか。実は、この築地は本願寺別院抜きにして語れない場所です。
今年は、日本橋横山町からこの築地へ本願寺が移転して記念すべき350年です。
江戸に西本願寺ができて数年後の1657年(明暦3年)、通称「振り袖火事」により江戸の大半を焼失した後、区画整理により最終的に幕府から再建許可の土地を頂いたのが当時の八丁堀・佃島沖の海。この土地に本願寺を建てるために埋め立てたのが「築地」の名前の由来です。その際、佃島の門徒の多大な労力があったことも伝えられております。
埋め立てが三分の一終了した1658年に、仮御堂が建立され、御本尊の遷座法要が勤められてから今年が350年目になります。その後、築地界隈の埋め立てが完成し、本願寺門前には、本願寺派寺院のみの寺町ができました。その数は、58ヶ寺。この頃の別院本堂は、南向きに建っておりました。
江戸から明治にわたり幾度と火災にあい、現在の本願寺築地別院の姿になったのは、関東大震災がきっかけでした。大震災により、東京は瓦礫となり、東京市は大規模区画整理を実施、道路拡張と新設、防火対策などの諸事情により、58ヶ寺あった寺院の大多数は余儀なく中央区以外へ移転いたしました。日本橋にありました魚河岸が築地に移り、現在の場外市場はそれら寺院の移転後の敷地です。
今日の築地別院は西向きに建てられておりますため、門前の寺町の位置が分かりにくくなっておりますが、元々南向きの本堂の門前は、現在の魚河岸方向となります。
記念法要は12日と13日の二日間勤まりました。両日とも2時からの記念法要に3時20分からの記念講演がありました。12日は、築地別院副住職の新門様が御導師で、主として旧築地58ヶ寺を中心にお勤めいたしました。法要に先立ちまして稚児、ボーイとガールスカウト、関係ご門徒の行列の先導で雅楽と出勤法中の庭儀があり、南門から正面門までの外周歩道を通りました。生の雅楽に、稚児行列、色彩豊かな色衣の僧侶を道行く人たちは大変珍しい光景に遇うことができた様子でした。正信念仏偈作法のお勤め後、新門様よりご法話がありました。記念講演には豊原大成輪番をご講師に、「移転400年に向かって」と題してご講演がありました
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12日 庭儀 |
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12日 庭儀、稚児 |
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記念法要、新門様導師 |
13日の法要は、御門主様が御導師、新門様とともに教区全体の代表出勤で法要が勤まり、御門主様よりご親教、記念講演には本願寺勧学、内藤知康師より「ご本願のこころ」と題してご講演がありました。
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13日 イベント「はじめまして交流会」 |
350年。江戸からTOKYOへ移ってきた時代に、お念仏の拠点をこれからもより一層、こころのオアシスとなり続けるように、別院の大切な役割に期待して参りたいと思います。
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