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臓器移植について 09.07.16 



改正臓器移植法可決について


  6月16日衆議院本会議、そして7月13日参議院本会議で、臓器移植法案のA案が可決されました。「脳死は人の死」とし0歳の子供からも本人の拒否の意志が明確でない限りは家族の同意があれば臓器の移植が可能になります。改正移植法は公布の1年後に施行となります。

 現行の法律では認められていなかった15歳未満の子供からの脳死臓器移植を認め、また死亡した者が臓器移植の意思を生前に書面で表示していて、遺族が拒まない場合のみを条件として、「脳死した者の身体」を「死体」に含むとしてその臓器を摘出できるとされてきた「限定された脳死」について、限定をまったく外してしまい「脳死を人の死」と定義する改正案が可決されました。

 脳死による臓器移植については国民的なコンセンサスが得られているとは思えないと感じていましたので、今国会でこの案が可決されたことに驚きを禁じえません。

 移植を待つ患者やその家族の立場に立てば、臓器移植へのハードルは低い方がよいに決まっています。また、そこにある切なる願いも充分理解できます。

 しかし、世界で臓器移植が進む中にありましても、現在の日本では、法律により15歳以下の子供の移植が規制されていましたから、臓器移植によるしか治癒の見込みがない子供たちにとりましては海外で移植を受けるしか道がありませんでした。そして、最近では、世界移植学会は08年5月に、渡航移植への規制強化を掲げる「イスタンブール宣言」を発表し、世界保健機関(WHO)においても「イスタンブール宣言」を総会で承認する動きが強まっています。まさに現状ではわずかに残された道すら閉ざされてしまうような状況がありました。

 そのような国際状況の中で、この度の法改正の審議が行われたわけですから、臓器移植を受ける側(レシピエント)の意図が重視される雰囲気があったのだと思われます。先進国の中で日本だけが、脳死による臓器移植医療の面で立ち遅れている焦りのようなものもあったに違いありません。

 しかし、脳死に対する、国民的なコンセンサスが得られたかと申しますと必ずしもそうではなかったと感じています。現行の臓器移植法が施行されて11年、その間現在まで81例しか行われなかったということは、そのことを如実に示しています。審議の過程で、複数の宗教団体からも、脳死は人の死ではないとする意見書が提出されていました。倫理的にも宗教的にも問題は残されたまま、脳死が人の死であると法律で定めてしまったということになります。

 脳死状態とは、脳幹の機能が停止し人工心肺を外せば数時間後には人間としてのすべての機能が停止する状態であるとのことです。脳死状態で人工的に生命が維持されるのは、まさに高度な医療技術がなければ起こりえない状態です。人の死は必ず脳死状態を経るとすれば、脳死を人の死と考えるのは理屈にあっているのかもしれません。ただし、より新鮮な死体を合法的に利用する目的があるから、心臓死の前の段階である脳死を人の死としなければならないということも事実です。

 法律で「脳死は人の死」と定めたということは、今までの法律のままでは殺人となってしまうことを、法律を改正することにより死の時を早め、合法的に死体であるとして、その死体を移植に利用するということです。

 脳死を判断できるのは医者のみです。家族からみれば、人工心肺により強制的に維持されているとはいってもまだ心臓は動いているのです。藁をも掴む思いで回復を期待する家族にとりまして、医師による死の判断に、臓器移植という別の意図が含まれているとすればその信頼は大きく崩れてしまいます。

 現行法では、本人の臓器提供の意思があり、家族の同意があった場合にのみ脳死の判定が行われました。しかし、これからは、医師が臨床的に脳死と判断すれば、移植に同意するか否か、身内の死を前にして遺族には重い判断を迫られることになります。その時には、心臓は動いているのです。そこで身内の判断に善悪が問われるようなことがあってはなりません。特に社会的に、今まさに遺族になろうとしている人々に対する善意の強要がなされるようなことがないようにしなければならないと思います。家族の心情に基づいてどちらの判断を下すことも可能であるようにしなければなりません。ましてや、脳死の判断はデータの公開をもって厳密かつ公平になされるべきであります。

 一人の死から多くの命が救われるのが脳死による臓器移植医療である、と考えることもできます。反面、人の死が前提になければこの医療は成り立たないということも事実です。

 脳死による臓器移植医療は、倫理的にも宗教的にも軽々には解決しえない多くの問題を抱えた医療ということができると思います。ただし、人工臓器の開発が間に合わない現在、緊急避難的な過渡的医療として認めるべしと現実的な判断をすべきなのかもしれません。事実上、すでに人類はその段階に踏み込んでしまっています。

 この法律の施行にあたって、国はどのような社会環境を構築していくのでしょうか。改正移植法の運用にあたっては、よりきめの細やかな配慮が必要になってくることと思います。

小林泰善 2009.7.15