仏教ちょっと教えて 




010 通夜でお線香を絶やしてしまって・・・

 
Q:「父のお通夜の晩に、兄弟で交代に通夜をしたのですが、明け方になって私がうっかりウトウトとしてしまい、お線香を絶やしてしまいました。大丈夫でしょうか」


 A:心配ありません。葬儀の前後は、お身内の方々はいろいろな面で大変疲れていらっしゃいます。私は、いつも、シッカリと身体を休めて葬儀に臨まれるようにお勧めしています。
 このように私たち僧侶は、仏事に関連して、よく「大丈夫でしょうか」という質問を受けます。墓地の改修、法事の日取り、仏壇の位置など、分からないことが多いからだと思います。
 また、「大丈夫でしょうか」という言葉には、もう一つ別の宗教的な意味があります。それは、「亡くなられた方が成仏できるだろうか」もしくは、「そのことによって、私や家族に障りがあるのではないだろうか」という思いです。仏さまは、その扱いによっては私の障りとなることがあると恐れているのです。
 しかし、仏さまは、私たちが心配しなければならないような方ではないのです。亡くなられた方のことは、私たちにとりましては、阿弥陀さまにおまかせすることしかできないのです。そして、阿弥陀さまのことをよく調べてみますと、とことん私たちのことを心配し救わずにはおかないとの誓いをたてて仏になられているのです。「心配するな。私にまかせよ」と言いつづけてくださっているのです。
 私たちは、よく亡くなられた方を仏さまと言います。そのことは決してまちがいではありません。しかし、死んだから仏さまになったのではありません。阿弥陀さまがいらっしゃるから、仏さまになられたと言うことができるのです。「必ず救う」との誓いがあるからこそ、安心して仏さまと言うことができるのです。私たちにとりまして、亡くなられた方は阿弥陀さまのお浄土にお生まれになり、阿弥陀さまとともに私たちのために働きつづけてくださる仏さまと味あわれてくるのです。ということは、まさに私も阿弥陀さまに救われていく身であるということになります。
 したがって、「大丈夫でしょうか」という問いかけは、むしろ阿弥陀さまの方から私たちに常に問いかけられているのです。些細なことで不安になり、ますます迷いの中に転がり込んで行きがちな私たちに、阿弥陀さまは、「大丈夫か。シッカリしろよ。私がいるから安心して自分の歩みを進めなさいよ」と呼びかけてくださっているのです。
                           小林泰善



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