仏教ちょっと教えて 




011 母親を押しつける夫の弟達

 
Q:「三十五歳の主婦です。主人はサラリーマン、子供二人、それに主人の母親の五人家族です。主人は長男で、結婚したときすでに父親は亡くなっていました。そんなことで、自然に母と同居となってしまったのです。主人には弟が三人おります。姑の世話を私達夫婦にだけ押しつけて、のうのうとしています。
 わが家より楽なのに、姑に小遣いひとつも渡さない人たちです。私は姑がとても可哀想に思います。とはいうものの、長男だから、親の面倒をみるという考え方にはついていけません。どうすればよいでしょうか。 」



 A:「己こそおのれの依るべ、己をおきて誰によるべぞ。よく調えし、己にこそ、まこと得がたき、よるべぞを得ん。」『法句経』第一六〇偈
 日本の家制度は、江戸時代は幕府によって儒教道徳を基本にした民衆支配のもとにあり、また、明治期からは絶対天皇制国家主義を支えるため封建的な家督制度をもとにした社会構造のもとにありました。それが敗戦後は、制度上、百八十度転換した主権在民の民主主義国家へと改革され法の上では社会的に個人が家制度から自立したものとされています。
 ところが、おたずねにもあるように、敗戦から半世紀以上が過ぎているにもかかわらず現代においても日本社会の多くの部分で現実には、長男家庭に舅・姑の面倒はまかされがちです。そのような義務を負わされながらも、昔でいう総領の家督という長男としての特典はなく、財産分与は他の兄弟にも公平にされるという状況です。
 ですから、あなたのように心のなかでは納得できなくとも、現実には義理の親と同居している女性が多くいらっしゃいます。しかも、問題はそうした女性の多くは、裁判という法制度を盾にして夫の兄弟姉妹と争いたくない、できれば穏便にことを済ませたいと思っています。しかも、なんとかこの不条理な関係からは解放されたいという、極めて難しい課題をもっているということです。
 あなたは、夫の兄弟たちや姑にどのような姿を見ているのでしょうか。お話を聞いていると、自分は我慢して立派にお姑さまの面倒をみているけれど、夫の弟たちは、「生活は楽なのに、身勝手であり、少しも自分のことを分かってくれず、できの悪い人たちである」と思っておられるようですね。
 また、お姑さまは可哀想だと思っていらっしゃいますが、本当は、そんな義理の弟たちに何もいうことが出来ない自分自身がふがいなくて、可哀想なのではないでしょうか。そうした自分の可哀想さかげんをお姑さまに投影して、自ら何かを決断したり、発言したりすることのできない自分のあり方をあいまいにしているということはないでしょうか。
 あなたは、「長男だから、親の面倒をみるという考え方」には、ついていけないとおっしゃっています。それが、親と子の求めるべき関係だと思っている以上、その考え方をきちんとあなたの二人のお子さんに、そして世の人々にも伝えていく努力が大切ですね。なぜならば、あなたと同じつらさをお子さんやその配偶者、そして世の人々に味あわさせないようになりますし、同時にあなたにとってもそのような社会の方がとても生きやすいという形で翻(ひるがえ)ってくることだからです。
 すこし厳しい言葉でしたか。もしかしたら、あなたは、愚痴話が聞いて欲しかったのではないでしょうか。まずはあなたの夫に、現在の不条理な状況や矛盾、そしてあなたの欝憤(うっぷん)を存分にお話されるとよいでしょう。そして、自分だけの問題にしないで、そこから夫の兄弟にも相手の痛みを想像していただくようにしてください。(よく、痛みを共有するなどといいますが、痛みは共有できません。しかし、想像することはできます。)
 また、あなたが夫との間で今までそのような会話を一度もしたことがなかったり、また話し合ってもあなたの夫に話し合いの可能性が開かれていかないようなときは、具体的にあなたにかかわってくれる法律的にも専門的な第三者に相談することです。今、カウンセリングは、大変数多くなりました。あなたの悩みを聞いてくれるところはたくさんありますが、中立的な立場をとるところに尋ねるとよいでしょう。
 しかし、最終的によりどころになるのは、自分自身です。もちろん都合のよいようにものごとを進めようとする自分勝手な自我の自分はよりどころにはなりませんね。また逆に自己中心的なこころを深いところにもちながら、気づかなかったり、気づこうとしない自分もよりどころにはならないでしょう。
 仏教という教えは、ご縁がないとお願いして助けてもらったり、学んで立派な人間になれたかのように自分に酔っていくものと誤解されます。教えを通して、よくよく自分を知らされるところに問題の解決は開けてくるのです。自分の姿がよく見えてくるとき、相手の姿をかたよって決めつけていたことも見えてくるのです。つらいことでしょうが、自分を見つめる教えによって、本当によりどころとなる調えられた自身に育てられてください。 

本多 静芳(『法話情報大事典』雄山閣より転載)


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