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生前に描かれた肖像画や彫像のことを寿像というのだそうですが、親鸞聖人の寿像には、「鏡の御影」と「安城の御影」の二つがあります。
「鏡の御影」は、聖人の壮年時代のお姿です。大変力強い迫力のあるお姿です。 一方、「安城の御影」は、聖人が老境にはいられてからのお姿です。うそぶきの御影ともいわれ、口をとがらかしたお顔は印象的であります。 「安城の御影」には、絵の仕上がりを見た聖人が、鏡に映った自分の顔よりよく似ていると言われたとの言い伝えがあります。
どちらの絵にも共通することは、高僧らしく描かれていないということです。そこには悟りすました様子はうかがえません。 「安城の御影」には、桑の木の二股になった枝を縛って作られた杖と猫皮の草履、そして手焙り用の火桶が添えられています。 没後しばらくして描かれた「熊皮の御影」は、熊皮の敷物の上に座しておられるのでそのように呼ばれています。
猫皮の草履とか熊皮の敷物といいますと、違和感を覚える方もいるのではないかと思います。 しかし、このような道具が描かれているのは、親鸞聖人の生活感を後世の人々に伝えるためにわざわざ描かれたものだと思います。 聖人の周りには、田畑を耕し山や海に入り猟漁どりを生業とする人々が大勢おられたのです。
当時、聖人に初めて出あった人々は、妻子を伴った異形の僧の姿を奇異に感じたに違いありません。 しかし、聖人の口から発せられた仏教のみ教えは、人々の身に染みわたりました。 親鸞聖人を慕う人々にとって聖人は、けっして人の高見に立つような高僧ではなかったのです。猫皮の草履を引っかけて、熊皮の敷物を腰に巻きどこへでも訪ねてくる気さくなお坊さんだったのです。
親鸞聖人ご自身も、寿像を描かせるにあたってご門徒からいただいた布教活動の必需品をともに描いてもらったのではないかと思います。
蓮如上人は、「安城の御影」を二度模写させています。 蓮如上人も、この絵像から、み教えを伝えるためなら労力を惜しまない宗祖の気迫を感じられたことと思います。車座になって酒を飲みながら阿弥陀さまのみ教えを語り合う、そのような蓮如上人の温もりも、このお姿から学ばれたのかもしれません。
私たちが、聖人のお姿を偲ぶことのできる、ほんのわずかな資料の中に、浄土真宗のみ教えの神髄を見たような気がします。
小林 泰善
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