A: 一般に「永代経」というと亡くなった人のため、毎年の命日にお寺で永久に読んでもらうお経・永代供養と思われているようです。
私たち浄土真宗の寺院でも、ご開山親鸞さまのご命日法要の“報恩講法要”(11月頃)と共に毎年の恒例法要として大切に“永代経法要”(5月頃)が営まれています。 しかし、同じ「永代経」の言葉は用いておりますが、その内容は亡き人への供養というものとは違っています。
浄土真宗そのみ教えは、阿弥陀さまのすべての人を必ず救うというご本願が、私にまことのいのちを生きる人生を知らせてくださることです。 それは、自分こそが正しい・自分だけがよければいいという思いに閉じ込んで生きるのではなく、すべてのものはつながりあって支えあって生きている。 すべてのいのちはこれまでもこれからも平等であり、敬いあって生きることこそ真実の人生と知られるのです。
自分勝手な思いをよりどころとせずに、すべてのいのちが真実ならしめられる世界(浄土)を阿弥陀さまのおこころとしていただいて、そこによりたって生きることが、何にもゆるがない人生を歩むことができるのです。 お念仏を聞きお念仏を称えるこのただ今が、真実に生きるという救いとなっているのです。
浄土真宗では、亡き人の命日を機縁として、お経を読みそのお話を聞いてこの私が救いにあわせていただくのです。 今私がお念仏に出遇えたことは、お寺というものがあって阿弥陀さまのお話が語り続けられてきたからに違いありません。 これから後も、ひとりでも多くの人に阿弥陀さまのお話が聞かれるようでありたいものです。こうした思いを、「永久にお経が読まれる」という表現をしているのです。
実際には、各寺院でそのお寺に所属する門信徒の総意のもと、毎年の恒例法要として永代経を営み、ご懇志を寄せていただきお寺を護持して、お経・阿弥陀さまのお話がいつまでも続いてゆくよう思いをあらたにいたします。
また、個々の立場で亡き人の毎年の命日または年忌に読経してもらうようご懇志をあげる場合も永代経とよんでいます。 この場合も、家族や故人に縁あるものがお参りしてお経・阿弥陀さまのお話を聞き続けることを大切にすることなのです。
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