A: 木魚は、現在、天台・禅・浄土などの各宗において、読経のとき、打ち鳴らすもので、その名前が示すように、木をくりぬいた楕円中空な、魚に似せた仏具のことです。 なぜ、魚に似せているかといえば、魚は昼夜常にパッチリとしたまぶたを開き、油断も隙もなく勇猛精進の姿が、修行者にとって好模範であるので魚の形を持って戒めとしたようです。
昔は儀式や規律を伝える合図に用いていましたが、近年は、読経にリズムをつけ、また励ますために鳴らします。
浄土宗では、お経を長くよみ、念仏を多く称えることが重要なので、調子をつけるために木魚が必要となります。 ところが浄土真宗では、経を長く読むことよりも、その心を頂くことが主であり、念仏を多く称えることより、念仏に寄せられている阿弥陀如来の願いを頂くこと主ですから、別段、木魚を用いて、励ますこともないわけです。
江戸時代に浄土真宗の和文のお聖教に精通されていた賢蔵(大谷派嗣講・越前浄願寺)という和上がおられました。 この和上が真宗の木魚について、「持ち前の三毒五欲を木魚として称名を相続させよ」と語っておられます。 腹が立ったらそれを縁として念仏し、欲が起こればそれをご縁に念仏する。行住座臥、時と場所を選ぶことなく用いることの出来る木魚だとのことです。
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