仏教ちょっと教えて 




102 「臨終と信心」について

Q: 最近、NHKの特集番組で「弥陀来迎図」や「山越えの阿弥陀仏」を見、当時行われていたという臨終行儀に興味を覚えました。浄土真宗では、臨終行儀に類する作法のようなものがあるのでしょうか?


A:
 現在、仏教伝道協会理事長を勤める信楽峻麿先生の念仏者としての信心の深まりの背景には、幼少期に「南無阿弥陀仏」の一言を残して逝った生母や若くして「またあおうな」と言って逝った兄の思い出があると言われます。
 先生が中学一年の時に、大学生の兄が菊の花の美しい秋の夕暮れに亡くなられました。その死の前に、中学だった先生に向かって「また会おうな」と言い残されます。
 先生は今にして、その言葉の重さと、その意味の深さをしみじみと味わうと言われます。

 人間にとって死は恐ろしく避けたいものです。死が来たら全てが終わりです。
 どれほど親しい家族も、信頼していた人びととも、死は厳しくその間を断ち切り、虚しく別けていきます。しかし、臨終という死に臨んでも、「また会おうな」と言い切れる生き方を人はどこに恵まれるのでしょうか。

 それは阿弥陀如来の本願の教え(教)を拠り所に、念仏を称えつつ日々を生き(行)、真実を実感するもの(信)にとってのみ、はじめて可能な生きる利益(証)です(これを教・行・信・証ともいいます)。
 また会える世界をこの世でしっかり生きるということが大切になります。
 そう言い切って死に、そして肯き合える今日を生きるといういこと、つまり臨終という、いのち終わるに臨んでいくということを親鸞聖人のいう大乗仏教至極の教え、つまり浄土真宗仏教を生きるものとして「臨終と信心」とは何かを考えてみます。


 私たちの姿を親鸞聖人は、『一念多念文意』に次のように示してくれます。

「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほく、ひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水河二河のたとへにあらはれたり。」(『一念多念証文意』「浄土真宗本願寺派聖典註釈版」(以下『註釈版聖典』と略す)六九三頁)

 煩悩に振り回されて生きている私たち凡夫の姿は、死の瞬間、臨終のその時まで、怒り腹立ち嫉み妬む心がなくならないと言われます。とても臨終にあたって心をひそめ、思いを調えて、たじろぐことのない心境にはなれません。

 ところで信楽先生がある聞法の集いで、刑務所に勤務し、長い間、死刑囚のお世話をされた方が次のように言われたそうでうす。
 「私は十二名の死刑囚の最後に立ち会いました。その多くは浄土真宗の教えを聞き、中には心の眼を開いて、深く罪を悔い、念仏をよろこぶようになった人もありました。
 そういう人は人間的にも立派になり、どうしてこのような人を死刑で殺さなければならないのだろうかと疑問にさえ思うことがありました。
 ところがそういう人たちでも死刑執行の朝が来たとき、独房に迎えに行くと死の恐怖のため足が震えサンダルが履けず手伝って履かせ、身体を支えて刑場につれていきます。
 私が分からないことは、あれほどまで念仏をよろこび、深い信心に生きた人がどうしてあのように死を恐れるのでしょうか。真宗の信心は死に対しては何の役にも立たないのでしょうか。
 私もこれから真宗の教えを聴聞したいと思いますが、このことがとても気にかかります。」

 大変まじめな問いです。真宗の信心は死に臨んで全く役に立たないものでしょうか。
 宗教を考える時、その有用性のみを追求するならば方向違いであり、その本質に触れることは出来ないでしょう。
 もし、死の恐怖に打ち勝つだけならば武士道はまさに死の構え方を教え、また戦時中の特攻隊も見事な死に方を示しました。これは何かの理念を信じ込めば、宗教を持たなくとも死の恐怖を乗り越え、臨終を全うすることが出来るということを物語るものです。
 真宗は死の恐怖を逃れるための手段としての教えではないでしょう。その意味で信心と死に際の善し悪しは全く無関係といえます。

 真宗の教えは、この限りある一度限りのいのちを本当にまことの生き方をするか、それとも目先の虚しい、仮なるものに振り回されて偽りの人生をするか、という問題を明らかにしてくれるものです。

 信楽先生は広島のご出身で今でも地域によっては臨終説法という伝統が残るそうです。
 老い、患い、死を迎えようとする御門徒が手継ぎ寺の住職を招き、死の前に改めて説法を聞くことです。
 実際には衣姿で出かけていくと当人もまた住職も何も言えず、ただ手を握り合い、念仏を申すだけということも多いといいます。

 若き日、先生が経験した印象深い出来事があったそうです。その家族に頼まれ老いた御門徒の臨終説法に出かけた時です。
 当人も衣姿でやって来た住職を見て状況を認識したのでしょう。ところが、その口から出た言葉は、「しまった、しまった」と悲嘆と悔い言葉をただ繰り返すだけでした。
 そばにいた娘さんたちも、いたたまれなくなり涙を流すばかりで先生も何も言えず随分気まずい思いをしたと言われていました。
 推測ですが、当人の思いの中で、「遅かった、元気な内に仏法を聞いておけば良かった、間に合わなかった」という悔恨の情が生まれたのでしょう。

 その一方で、大変心に残るやり取りがあったといいます。
 それは自分の父である老住職とその竹馬の友である老医師の会話でした。
 看護婦に手を引かれ寺にやってきた九十歳を超えた医師は、「ご老院、もうあとちょっとだぞ」「わしもあとから参りますからな」とだけつげました。
 言葉を語ることの出来ぬ住職は、ただうんうんと肯いていただけであったけれど、そこには深いいのちの確かめ合いの姿があり、倶に会う世界を確認する生き方が偲ばれたといいます。

 また、ある臨終説法では、一老門徒が衣姿の先生を見ると「ありがとうございます」「物体のうございます」といいながら手を合わせ涙を流し念仏を称えたといいます。
 これは、煩悩だらけのこの凡夫がこの度、念仏の教えにめぐり合え、念仏申す人生に恵まれ、仏に成らせていただけることになった有り難さを身をもって語っています。

 そのような凡夫は情緒的に物事を捉える心を離れることはなかなかできません。
 そういう私たちに経典や先人は次のように浄土に往生するということを語ってくれます。

「諸上善人 倶会一処」(『阿弥陀経』『註釈版聖典』一二四頁)

「かならずかならず一つところへ参りあふべく候」(『親鸞聖人御消息集』『註釈版聖典』七七〇頁)


 この世においてお念仏の教えを聞き、お念仏を称えつつ日々を生きるものは、その生涯を終えて、倶に会う世界がある、必ずかならず一つ世界に参り会えると教えて下さるのです。
 先の信楽先生の兄上が言う、「また会おう」とはこうしたことを肯けたところに語り合える世界です。

 親鸞聖人は、『御消息集』に、

「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚のくらゐに住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心のさだまるとき往生またさだまるなり。」(『註釈版聖典』七三五頁)


といわれています。
 浄土の教えは、それまで念仏を称える生活を送りながらも、その臨終のあり方が浄土往生のあり方を決定するとされてきました。
 ところが、親鸞聖人は、念仏の信心を頂く人は、阿弥陀如来の誓願のままに、この世で正定聚という位に定まるから、臨終のあり方を気にすることもなければ、臨終にあたって阿弥陀如来のご来迎をたのみにすることもいらないのだといいます。
 それは信心が定まった時、往生していく人生が定まるからだと教えてくださいました。

 大乗仏教の教えからの真実の生き方とは「生死一如」といいますが、本当に生きることは、本当に死ねることである、つまり生死を究めることだと示されています。(『註釈版聖典』八一一頁)
 それは、平生からの念佛が大事だというのです。今日の言葉でいえば、「デスエデュケーション(死の教育)」ということであり、この問題は生きている間に解決すべきだというのです。

 ある妙好人の言葉に、「三度の飯がうまい時、後生の問題が解決したものがいなくてはならぬ」と面白い表現が残っていますが、まさに元気な時、息災な時にこそ仏法は聞きたいものです。
 これは浄土真宗だけでなく仏教を生きるとは、死に行くいのちをいかに精一杯生きるかということです。
 大乗仏教の本義に生きた人びとの言葉や生き方を見ると、一茶は、「死に支度 致せ致せと桜かな」とうたっています。

 確かに、浄土教の歴史には看死の思想として「臨終行儀」というものすら生まれました。
 しかし、親鸞聖人は死に方を全く問題にしない浄土教の立場を明確にしたといえるでしょう。『親鸞聖人御消息』には、

「善信が身には臨終の善悪をばもうさず」(『註釈版聖典』七七一頁)

とあります。また、『尊号真像銘文』には、

「如来より御ちかひをたまはりぬるには、尋常の時節をとりて臨終の称念をまつべからず、ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしとなり。この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光に入りぬれば、正定聚の位に定まるとみえたり。」(『註釈版聖典』六四四頁)

とあります。上手な死に方というのは生きている今の私には観念や知識でしかありません。私には、今をどう生きるか、という身の事実・実感が問われているのでしょう。
 『歎異抄』第九条には、唯円の死にたくないという問いを受けて、私、親鸞も全く同じ思いですよと答えた後で、

名残惜しくおもへども娑婆の縁つきて力なくして終わる時にかの土へは参るべきなり。(『註釈版聖典』八三七頁)

と答えています。
 鳥取の妙好人の足利源左さんに直次という同行がその死に臨んで、どうすればいいかと尋ねると

「直次さん 死ねばよいがな」

と答えたと伝えられています。  はからい(思い)を超えた大きな永遠のいのち(はたらき)に生かされて生まれてきたいのちは、ご縁のままに老い、患い、そして死んでいく。
 真宗門徒は、縁起に生かされる姿を如来さまのご恩と呼んでお陰様と言い切ってきました。
 これは生かされている自覚、そして実感に支えられるものだけが言える生き方でしょう。
 それは、「今、私はどう生きているか」、それを問いにし、それを明らかにしてくれるのが如来様の教えを聞き、かえって行くいのちのふるさと・浄土を確かにすることです。

 親鸞聖人の真実信心ということは、仏教でいうすくいということです。
 信心というと世間的には主客二元論で捉えられ、私が何か訳の分からないものを信じ込む頑なな心と誤解しやすいのです。
 しかし、親鸞聖人の仏教では済度といい、原語ではウッダラーナ(わたる)と言うことです。此岸の迷いから彼岸のさとりに渡れるような私に育てられることです。

 それは仏法を聞法することで超えられるような私に成長・脱皮することです。
 往生といいますが、それは死に対して救われたもの、死を超えることのできたものの姿をいうのです。
 教えを聞き、念仏を称えつつ、その称える念仏は阿弥陀如来の願いがかけられた私への喚びかけと聞こえてくる念仏であるところに、日頃の生きざまを通して済度できる確かな足腰を身につけたものに成長していくこと、つまり信心の私に育てられることが要です。

 真宗では、これを「後生の一大事」といいます。やはり、死が勝負です。色々と人生の諸問題がありますが、最後の死が超えられるかと問い続けることです。
 そうした人間成長と脱皮を教えるのが浄土真宗の仏法です。
 親鸞聖人は、『愚禿抄』に、

「前念命終 後念即生」(『註釈版聖典』五〇九頁(善導の言葉より))

といいます。
 つまり、古きいのちに死して、新しきいのちに生まれることであり、それこそが、成長と脱皮です。念仏を称えつつ、これを繰り返し確かなものと育てられるのです。
 臨終の善し悪しを超えて、今、完全なるいのちの大地を恵まれること、それが浄土真宗のお救いであり、臨終行儀を超えていく今の救い、信心を大切にする所以です。

 「古き我 崩れ去る音 南無阿弥陀仏 新しき吾 生まれ出づる声 南無阿弥陀仏」


回答者:本多 静芳 


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