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A:琴の糸は張りすぎても、緩すぎてもいい音は出ない。いい音を出すにはちょうどいい張り方が必要なのだ
ご質問に関して、最良の答えができているか不安ですが、私の見解をお話させていただきます。
まず、仏教では命の長短には価値を見出していません。むしろ受けがたくして受けたこの身において仏教の教えに出会えるかどうかを最重要視します。 ですから以下の話はそのことを大前提にお読みいただきたいと思います。
「お坊さんは長生き」かについてですが、これはそういった統計をとったことがあるというわけではないので何ともいえません。 おそらくお坊さんはお年寄りが多いからという印象としてよく聞くお話なんだと思います。 すくなくとも浄土真宗では非僧非俗の伝統がありますので、食生活などは一般の家庭となんら変わらないといえます。 確かに、脂っこいものを控え、精進料理などを食べることが普通の方より多くあるかもしれませんが、決定的とはいえないような気がします。
一方で、声明といってお経を声を出して読むことは健康的ともいえますので、あるいはこちらの方は何かしらいい影響があるのかもしれません。
さて、そのように考えると、もう一点気づくことがあります。それは現代の病気の原因として見過ごすことができないものとして「ストレス」についてです。例えばこんな話があります。
一般的に「タイプA」という性格傾向があります。 その性格とは過度に競争心が強く、攻撃的でせっかちであることを特徴とします。 この性格傾向の強い人は休みなく他人や自分と競争し続け、時には時間との競争や自分の運命にさえ挑戦するのですから、慢性的に闘争的な反応を続けることになります。 その結果、ストレス反応を強く起こすために血管、心臓の病気になりやすいというのです。
これは、もともとアメリカでの心臓疾患の患者の診断基準としてのもので、簡単にいえば、ストレスを感じやすい性格ということです。 その心臓疾患にかかりやすいという観点から日本人に当てはめると、若干ことなったものになるそうです。つまり日本型タイプAというものが見出せるわけです。 それは「生真面目」というもので、「敵意」「攻撃性」はあまり表出されないそうです。性急さや仕事中毒といわれるような過剰適応が日本人的なタイプAと考えられています。
このようなことを考え合わせると、お釈迦さまのお考えの「中道」というものの考え方の正しさをよくよく思わざるを得ません。
中道とは、偏りのない道ということです。それは琴の糸の話でよくわかることです。極端な考え方、行動はやはり自身を苦しめてしまう。見失わせてしまうのです。 現代社会でも通じるものがそのシンプルな教えの中にも確かな真理としてあるようです。
もちろんわれわれ僧侶はストレスがないわけはありません。しかしながら、悪を遠ざけ、善を身に引き寄せる大切さを多少は心得ているのではないでしょうか。あえていうならそのようなことがあるやもしれません。
さて、これらのことを踏まえもう1つお話すべきこととして、われわれは生老病死という苦しみの中で生きているということを常日頃意識しているということがあります。この苦しみの中でいかにこの与えられた命をまっとうするか。 それにむけて進むべき仏道をいただいているという喜びの中にいるということは間違いないことだと思います。
参考になるかどうかわかりませんが、私の見解として話させていただきました。
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