A: 仏教の五戒(五つの戒律)の一つ目が、「不殺生戒」です。 殺してはならないという戒律、これを守ることは至難の業です。私たちは道を歩いていても知らぬ間に虫を何匹踏みつぶしているかもわかりません。 インドのジャイナ教の修行者は、道を歩く時、羽箒で道を掃きながら歩くと聞きます。
動物は食してはならないが植物は良いとするベジタリアンたちがいます。精進料理などもこの思想に基づくものです。 一昔前までは、植物は殺生の対象とは考えていませんでした。しかし、現代に生きる私たちは、植物にも、それこそお米一粒一粒にもいのちがあると考えます。 したがって現実には、毎日多くのいのちを食して自らのいのちを支えているのです。
しかし、私たちは、仏教の戒律が、私たちの生活に適合しない非現実的な理想論に過ぎないと決めつけて、現実に則した戒律に改めようとは思いません。なぜならば、私たちがこの戒律を大切にしているからです。
親鸞聖人は、鎌倉時代に肉食妻帯を実践されました。当時の僧侶のあり方からすれば、まさに破戒僧です。 しかし、人々にとって、聖人の姿は、一般庶民と同じ生活をする仏教の実践者だったのです。妻を娶り家庭を持つということは、人々と同じよろこびや悩みを共有することができます。 また、肉食を否定しない姿勢は、四季の変化の著しい日本の風土に適していました。 飢饉などの災害や病気に無防備な人々にとって、動物性タンパク質は大変重要な栄養源でありました。
この親鸞聖人の姿勢は、お釈迦さまが示された戒律のあり方に違うものではありません。 お釈迦さまは、いわば大きな努力目標を示されたのです。そして、その目標を前にした人間が如何に危ういものであるかを明らかにしているのです。 人間のこころを支配する煩悩というものが、その努力目標をいつの間にか遠くに押しやってしまうという現実があることに気づけと示してくださいました。 親鸞聖人は、そのことを身をもって実践され私たちに明らかにしてくださっています。自らの煩悩を徹底的に見つめていかれたその姿勢は、同じ仏道を歩むものの鏡であります。
不殺生戒があるからこそ、私たちの生活の意味が明らかになるのだと思います。貪欲という悲しみを背負っているとの自覚があるからこそ、自身の行動を律して行けるのです。 そして、毎食ごとに多くのいのちをいただいていることに感謝の気持ちを忘れないでいられるのです。
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