仏教ちょっと教えて 




122 大乗仏教の菩薩道とは

Q:大乗仏教の菩薩道とはなんですか


A:
 
大乗仏教の起源については諸説がありますので、私なりの受け取りから、その成立と菩薩道について言及させていただきます。

  釈尊が説かれた仏教は、その入滅(紀元前383年頃:中村元博士の説)後、すぐに結集が行われ、「経典」、「戒律」としてまとめられます。そして、お弟子さんたちを中心とする出家集団によって伝えられます。このころの仏教を総じて原始仏教といいます。

  しかし、年月が過ぎる中で再び結集(第二結集)が行われますが、このとき「戒律」に関する解釈の相違から、上座部と大衆部という派に分かれます。簡単に申せば上座部は釈尊の戒律を厳密に守ろうとする保守的な立場、大衆部は時代に即した解釈を容認する進歩的な立場です。この分裂を根本分裂と申します。

  こののち仏教教団は細かい分派や集散を繰り返します。その結果多くの派が成立していきます。このような時代を部派仏教の時代と申します。これらの流れの中で、仏弟子達の解釈としての「論」が成立し、「経」「律」「論」という三蔵が仏教の経典として成立していきます。こういった流れの中で、仏教の教えは緻密になる反面、煩瑣になり、また出家者は人里はなれた場所で教理の研鑽に励むようになります。

  さて、大乗仏教とはこのような背景の中、在家者との接点を失いつつあった出家者に対する在家者からの仏教変革運動なのです。もともと、出家者と在家者は支えあうものでした。つまり出家者に対して在家者は食事などの援助を、出家者は在家者に法施を行っていたのです。在家者にとっても、この関係は心の平安を得られる心地のいいものであったと考えられます。

  しかし前述の通り出家者は在家者と距離ができてしまっていたのです。民衆に対するエネルギーが失われつつあったので、このまま仏教は衰退してもおかしくなかったのですが、釈尊思慕の思いを募らせた人々がグループを形成しつつありました。その人々とは釈尊の遺骨をおさめた仏塔(ストゥーパ)を中心に形成された集団です。

  第三結集を行った王として有名な、アショーカ王(在位前268頃〜232頃)は仏教の教えを中心に国を治めていこうと考えます。その政策の一つとして、各地に釈尊の遺骨を中心とする仏塔を各地に建てさせました。

  このストゥーパには多くの釈尊にまつわる伝承が描かれ、また、そのことを契機にそれまでのインドにみられた逸話をよりしろとして釈尊の生まれ変わり伝承いわゆるジャータカが生み出され、民衆の間で伝えられたと考えられます。また、その中では釈尊は自在の姿で語られましたので、同時に神格化もすすみます。このような人間釈尊と、神格化された釈尊がともに語られる中で、民衆は、自分たちを苦しみから救う存在として思慕の情を募らせていったと考えられます。

  大乗仏教とはこういった人々と、このような民衆からの要望にこたえる形で再度接点を持った大衆部の流れにある出家者によって形作られた仏教改革運動であったと考えられます(この運動は紀元前後のころと考えられます)。ですから、大乗仏教では菩薩道という言葉で、民衆を悟りの道に導くという視点がその運動の中心課題となっています。こういった中であらたに経典も生み出され(いわゆる大乗経典)、北伝仏教として日本にも伝わるのです。


   参考資料: PDFファイル(450KB)

回答者: 竹柴 俊徳    



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