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010   テレビ東京の 「人間劇場 ありがとうごめんね

  去る10月14日よる10時半から東京テレビで放映された「人間劇場 ありがとうごめんね」を見ました。昨年秋ガンで36歳で亡くなったお母さんとその家族のドキュメントでした。2人の男の子がいて、次男がたまたま私の長男と同じ学校で同級生でした。わたし自身は柳沢さんについて亡くなった後に、こうだったとはじめて知りました。テレビの放映以上の詳しいことはよく知らず、むしろ、テレビを見て詳しく知ったと言った方が正しいかもしれません。


  夫が医者で、本人も看護婦をしていたこともあり、死を意識しながらの闘病生活でした。子供にも「お母さんは死んでしまうかも」ということを話しながら、残された短い時間を自宅で家族と共に過ごし、亡くなっていきました。子供にお母さんが死んでしまうことを告げた理由をお父さんは「もし、黙っていて、何で教えてくれなかったのかと子供が死に対して間違った捉え方をしてはいけないと考えたから」と話していました。


  ご主人は内科医で、在宅ホスピスを目指して開業しました。恵美さんもその手伝いをしていた看護婦でした。自分がガンであることを知り、残された時間がなくなってきたとき、「ガンでも自分の家で最後まで生きることができる」ことを知って欲しいと思ったそうです。段々と病気が進み、体力がなくなっていく中で、子供たちのために、2冊の絵本と18歳までのバースデーカードを作りました。


  恵美さんは、頻繁に見舞ってくれる日野原重明医師(聖路加看護大学学長 聖路加国際病院理事長)との会話で、
「もう死ぬ準備ができちゃったんです」と言っていました。
すると日野原医師は
「ハンモックに乗っているように任せる気持ちになるよ。今、自分が焦点が合わないのに、合わせよう合わせようとするからむなしい気持ちになるのかもしれない。いままでは、助走みたいなもの。これからの自分が一番大切なあなたの生き方。あなたの体をゆだねる気持ちになっていけると思いますよ」と答えました。



  恵美さんの生きている という映像の姿は、命尽きるまでとても淡々として、生きている姿でした。その背景には宗教の力が大きな支えとなっていたようでした。
 柳沢さんの家庭を支えていたのはキリスト教の教えだったようです。残念ながら浄土真宗ではありませんが、死と直面したとき、絶対的な存在、そしてこころのよりどころが人間には必要なのだということを語っているようでした。恵美さんは「生きていることを感じたり、堪能したりしたことがありますか。こうして家族と一緒に過ごしていると私も生きているんだなあと感じるんです」と、カメラをまわしている人に語っていました。



  そして、 恵美さんの日記の最後は、子供たちへのメッセージでした。
「私にはもう時間がないけれど、あなたたちには時間がいっぱいある。一日一日を大切に精一杯生きてください」
その言葉は私たちにとってとてもありきたりの言葉でした。しかし、わかってはいるけれど実践できないでいる大切なことでした。
 


  恵美さんの亡くなった後 ご主人の徹さんは、在宅ホスピスを知ってもらうために研究会などで自分の体験を話しています。自分の体験は、「患者さんだけでなく患者さんを支える家族へのケアーができるようになったのではないか」と語っていました。 


宮本 義宣 




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