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015   テレビの評 99年10月

NHK教育TV
「キラッと生きる」     本多 静芳

 去る9月8日(水)夜7時10分から40分まで、NHK教育TV「キラッと生きる」で広島の栗栖晶(くりすあきら)君のことが紹介されました。

 広島県に在住の栗栖晶君は、現在23歳の障害者です。1998年、NHKハート展に彼の詩「びょうき」が入選しました


びょうき

あーあー
またびょうきになった
にゅういんしてしもうた
ぼくはつかれたらすぐねつがでる
やれやれのう
でもぼくのせいじゃーないのです
しようがないせいなのです
いきとったらしようがないことが
いっぱいあるのです

Sick

Ah...Ah...
I'm sick again,
And ended up in hospital again,
When I'm tired I get a fever right away.
Oh man...
But it's not my fault.
It's the fault of something that can't be helped,
In life, there are a lot of things
that can't be helped.


 詩には、くりすあきら君という署名があります。この名前で、彼の詩に出逢った方にとっては、栗栖晶君という字は違った印象を持つのでないでしょうか。いや、彼は栗栖晶という戸籍に表記され、国民総背番号で呼ばれ、偏差値がいくつで、社会に対してどれほどの有用性があるかどうかという以前に、詩を生み出すくりすあきらとして生きているように思われます。
 彼は、広島県立身体障害者リハビリテーションセンター内の肢体不自由児施設若草園入園、さらに広島県立西条養護学校小学部、1986年4月に日浦小養護学校へ転入し、広島養護学校高等部を卒業しています。
 彼が詩を書き始めたのは、小学校に編入して、友達が字を書いているのを見て大きく影響を受けたからだとお母さんは語っています。
 そんな彼が広島養護学校高等部の卒業記念に瀬戸先生をはじめ、お世話になった方々に、猫の絵と一緒に色紙にかいてプレゼントしたのが次の詩です。

人げん           くりすあきら

にんげんって いいね
  おいしいものがたべられる
たのしいことが いっぱいあるし
 かあさん ぼく 人げんにうまれてよかった
ひめ あんたは ねこに
  うまれて つまらんじゃろう
人げんにうまれて くればよかったのに
 もうおそいよ
はよう たのめばよかったのに
 うまれるまえに あんたのおかあさんに
  たのめばえかったのに
わたしを 人げんに うんでください
   いうて
はやめにたのんだら よかったのに
  もう おそいよ
ねこにうまれたんじゃけん
     もう ておくれよ
ひめは ねこでしあわせに
    なりんさい
ぼくは にんげんで
   しあわせに なるけえ


 なぜ、私は人間生まれてきて本当によかったということを教えて貰わないと分からなかったのだろう。くりすあきら君は、どうしてそういうことが分かるのだろう。とても不思議に思いました。あきら君は、とても色々なことが分かってしまいます。

   おかあさん    くりすあきら

おかあさんが なきました
   ふろばで なきました
ぼくのことで なきました
  ぼくは あたまがええから
   すぐにわかりました
おかあさん
  くらいかていは やめんさい


 やはり、彼はとても頭がいいのです。しかし、頭がいいだけではありません。心があたたかいのです。

たっちやん

たっちゃんは、ぼくのたいせつなともだち
です。
ぼくは、まだたっちゃんとはなしを
したことがない
びようきだから、しかたがないのです。
でもぼくと、しんゆうです。
たっちゃんは、のどに、あなをあけて、
いきています。
がんばっていきています。
いきをするのがしごとなのです。
ぼくは、たっちゃんとやくそくをした。
ながいきをしようのー
おとこどうしのやくそくをした。
1月12日くりすあきら             
(1997年1月12日21歳))


 そして、いのちを見つめています。

ゆきがふりました。
土のうえにいつぱいつもりました。
だんごむしさん
ゆきのしたにおるだんごむしさん
さむいでしよう
はようはるがくればええね
さむいけんいしのしたにかくれときんさい
はるがくるまでじーっとかくれんとくんよ
  くりすあきら
      12月25日
(1995年12月25日)


まなぶくん              くりすあきら
まなぶくんはごはんをみきさーして
たべます
さかなもみきさーしてたべます
ごくらくのかみさますまんが
ちょっとだけまなぶくんのために
はたらいてくれんかのう
わろうてばっかりおらんこうに
たいしたことじゃーないよー
まなぶくんごはんのまんまたべれる
ようにしちゃってくれー
さかなのまんまたべれるようにしちゃってくれー
パンもてでもってたべれるようにしちゃっ
てくれー   ぎゆうにゆうもひとりで
のまれるようにしちゃってくれー
ぼくからのおねがいですたのんだよ
      6月10日
(1996年6月10日20歳)


 あきら君の言葉から、私の言葉はいつも自分の都合でものを考えていることを教えられたような気がします。あきら君の願いは、どうみても人間の欲とは違っています。まるで、菩薩さまの願いのようです。
 しかし、そんなあきら君も生きることは様々なことがあることを感じています。とても深い彼の感じ方は、彼の詩の言葉になると読む人を考えさせます。

ぼくは しんせきのはじなんだって

ぼくはしんせきのけっこんしきに
いつたら こまるにんげんです
はじなんだって
なんべんもいわれた
ひどいことを いうのー
あんたも いわれてみー
なさけないでよー
よんでくれんでもええが
おらんことに されるのは こまる
にんげんのいきをしとるんじやけん
むりよー
おかあさんが せつかく うんで
くれたんじやけん
じまんをしてくらす。 ほいじやが
おかあさんが かわいそうでかなわん
         くりすあきら


 人間は、お互いに気づかなくても、認め合っているから生きていけるのだと思います。かつて、こんな話を聞きました。毛虫は、一枚の葉っぱに大勢が集まって食べます。そこで、学者が、せっかくだからゆっくり食べさせてやろうと一枚の葉っぱに一匹の毛虫を移してやると、その毛虫はだんだん動きがなくなり、じぃっとしているそうです。そして、やがて、干からびて地面に落ちて死ぬそうです。実は、毛虫の毛は、周りに仲間がいることを感じる役目があって、それで仲間と共にいることを確かめ合って生きているのだそうです。人間も、同じいのちを生きていると教えていただいたことがありました。
 あきら君は生きることをしっかり見つめています。きっと誰よりも、まっすぐに見つめています。

ふゆ
ふゆになったけー
はながかれました。
くさもかれました。
木のはっぱもかれました
むしもあなにもぐりました。
ふゆはみんながまんをしていきています。
しにたくないからがんばっていきているのです。
いきとったらええことがあるからがんばるのです。
たのしいことがいっぱいあるからいきているのです。
1月22日 くりすあきら

 最後に、生き生きした二人が手をつないだ絵が描いてある詩を紹介して私の文章は終わりにします。

  ありがとう
ありがとうといわれたら
しあわせになります
でもありがとうは
なかなかいうてもらえません
しんせつにせんというてもらえません
どりよくせんというてもらえません
ありがとうはしんどいことなのです  だからぼくは
しんせつにしてもろうたらすぐ
 ありがとうと
いうことにしました
ぼくのためにどりよくして
くれたんじやけんありがとう
といいます
ありがとうはしあわせの
あいさつです
        くりすあきら

 
本ページの詩は、栗栖晶氏(著者)のご承諾を得てご紹介させて頂いております




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