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019  スポットキャンペーン「ありがとう」 〜こころの教育〜
2000年11月

スポットキャンペーン「ありがとう」
〜こころの教育〜
by 小林 泰善


 最近NHKで、「ありがとう」というスポットキャンペーンをしています。学級崩壊や少年犯罪の凶悪化など人々に感謝の心がなくなり、他人への思いやりの心が薄れてきてしまったとの危機感からこのようなキャンペーンが展開されているのではないかと思われます。

 しかし、私はこのスポットを見ていてあまり良い印象はありませんでした。押しつけがましさと軽薄さを感じてしまったからです。

 言葉には心が伴わなければ、その意味は伝わっていきません。「ありがとう」という言葉を数多く聞いたからと言って、その心、その本質が理解できるわけではないからです。


 こんな話を聞いたことがあります。
 あるお店を訪れると店員のみなさんがとても爽やかに挨拶をしてくれる。さぞかし社内教育が行き届き人間的にも素晴らしい関係が築かれているものと思い、そのお店へ行くのが楽しみだったのだそうです。ところがある時、そのお店の経営者と会う機会があり、その経営者から「最近の若者は挨拶を知らない。どうしたらよいだろうか」と相談を受けたのだそうです。

 その方は思ったそうです。「あのさわやかな挨拶は何だったのだろう」と。すなわち営業用の訓練された挨拶と、本当の人と人との心の通う挨拶はまったく別のものであったということです。
 こころの教育は、押しつけがましいものであってはならないのではないでしょうか。深い共感があってこそ生まれてくるものだと思います。

 少年法改正の論議も、大人が少年たちを教育しなければという論法で進んでいるような気がしてなりません。「人に迷惑をかけない。これが社会の常識だろう。何故わからないのだ」と。だから、罰則を強化しよう。

 しかし、少年法を厳罰化したとしても少年犯罪は減らないと思います。人に迷惑をかけないことが社会の常識と言っている大人自身が社会に迷惑をかけていることを子供たちは見抜いているのです。

 よく考えてみれば、人に迷惑をかけずに生きていくことなど、私たちにはできないのですから。そして、そのことを実感すればするほど感謝の心も生まれてくるのです。また、ルールの大切さも実感できるのです。

 かといって、「だれもが人に迷惑をかけずには生きられない」ことを少年に教えることはとても難しいことだと思います。それを実感するには少年たちには人生経験が足りません。大人でさえ難しいのですから。未熟さ故に罪を犯してしまった少年を保護し更生の場を与える少年法の意義をもう一度考えてみなければならないと思います。

 報復感情をあおって少年法の厳罰化を進めることは間違いだと思います。犯罪少年が、自分が犯してしまった罪を深く反省し、被害者の思いやその家族の思いを理解できるようになるようなシステムをもっと時間をかけて考えるべきだと思います。






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