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020  「スタイル!」 都筑カヲルのセリフ
2001年01月

「スタイル!」 都筑カヲルのセリフ
by いしかわ ちほ


 先日「スタイル!」というデパートが舞台のドラマを見ていました。

 デパートの販売主任の主人公が辞表を出し、最終回も押し詰まって泣かせどころです。

 主人公の長いセリフ。私はそれを聞きながら、このセリフはもっと深い意味がこもっている、そう感じました。

 「お客様に提供する側だと思っていた僕自身が、お客様から多くの物をいただいていた」
 
 
 その他いろいろな状況にも当てはまると思いますが僧侶である私は、こう考えました。お客様を門徒さん、僕自身を私自身(僧侶)に変えてみたら・・・
 「お客様に提供する側」つまり、お坊さんはやってあげる側、門徒さんはしてもらう側。もっと言えば、お坊さんが上から見下ろして恩恵を授けてあげているのだ、と門徒さんを見下しているのではないか?実際に見下していると自覚しているのであればとんでもないことですが、自覚していなくても、普段に表れているのかもしれません。お坊さんは偉い人、上座にいて当然で、敬ってもらって当然で、雲の上の人と思ってもらって当然。そう思っているから、そうでない態度をとられると気にくわないのではないかな。私自身を振り返ってそう思いました。
 でも、「お客様から多くの物をいただいていた」んです。確かに仏教の勉強をしたり、お経を上手にあげたり、そういうことは提供するというのかもしれません。その提供は需要と供給のようにバランスをとってこっちがこれだけしたのだから、そのぶん見返りがあるだろう。というレベルの物ではないはずです。
 そして、門徒さんやたくさんの人、物事とふれあう中でどれだけ多くのことを教えられ、与えられているか。そう思ったら毎日が受け取ることだらけの人生です。ひとりひとり人生は違っていて、感じ方や捉え方も当然違います。たくさんのドラマをもって生きている方々から教わることは山ほどあるのだなあ。

 「私はちょっと違うのよ。なんていったって世界が違うもの」そういう風に頭の、こころの片隅で思っている私が、ちょっと違うんじゃないの?と言う疑問符を与えられたセリフでした。

 何をいただいているか?ドラマの中で主人公は「よろこび」と答えました。

 私の場合は「やすらぎ」とでも言いましょうか。人それぞれにいただくものはいろいろでしょう。でも、いただいた物の内容は問題じゃない。それよりも、いただいているということを感じられたらいいな。そうして、みんながみんなにやさしくなれたらいいな。でも私にはまだまだ無理かも知れないけれど・・・

 ドラマを見てあげていた私がドラマからもらった物は、とっても大きくて大切なことでした。







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