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022  金子みすゞを主人公としたテレビドラマ
2001年02月

金子みすゞを主人公としたテレビドラマ
by 本多 靜芳


 「大漁」という詩で近年非常に注目を集めている金子みすゞを主人公としたテレビドラマが次のクールで放送されることになりました。

 金子みすゞ(本名:金子テルさん)は、国際暦1903年4月11日、山口県大津郡の仙崎という今の長門市にある漁村に生まれました。そして、1930年2月、26歳で自死しました。今年2001年、金子みすゞがTV番組のドラマの主人公として選ばれ、改めて多くの人にその名と数多くの童謡詩が知られるようになるでしょう。西條八十に「若き童謡詩人の巨星」と称讃されながらも、生前、みすゞ自身はおろか、その周りの人も、このような形で多くの人に知られるようになるとは想像だにしなかったことだろうと思います。

 しかし、みすゞについて知れば知るほど、人間ということを深く考えさせられます。そして、みすゞという人間を伝えようとすれば、等身大の人間の姿を伝えようとすることの困難さを教えられます。

 ところで、みすゞがみすゞになりえたのは、みすゞだけの力で出来た訳ではありませんでした。彼女の生まれ育った土地が、人が、そして数え切れぬ多くの条件が彼女をしてあの童謡を書かしめたのだと知らされます。

 みすゞの父庄之助は、渡海船の仕事をしていました。義理の弟にあたる下関・上山文英堂店主上山松蔵に頼まれ中国遼寧省の支店長となり31歳で客死、みすゞ3歳の時でした。浄土真宗の信心の篤かった祖母ウメ50歳、母ミチ30歳は、朝夕欠かすことなくお内仏さまにお参りしました。その悲しみは大変深かったでしょうが、手を合わせる後ろ姿を通して、いのちの大切さを語りかけていたのでしょう。

 童謡を書き始めるまでの20年間、瀬戸崎尋常小学校、郡立大津高等女学校と仙崎の港町で過ごされました。その地で生きる人々との出会いが、いのちを見つめ、やさしさを育み、彼女の童謡詩を生み出すことになっていきました。

 彼女のそうした生活の一端を覗いてみます。





『報恩講』

「お番」の晩は雪のころ、
雪はなくても暗のころ。

くらい夜みちをお寺へつけば、
とても大きな蝋燭と、
とても大きなお火鉢で、
明るい、明るい、あたたかい。

大人はしっとりお話で、
子供はさわいぢゃ叱られる。

だけど、明るくにぎやかで、
友だちゃみんなよってゐて、
なにかしないぢゃゐられない。

更けてお家へかへっても、
なにかうれしい、ねられない。

「お番」の晩は夜なかでも、
からころ足駄の音がする。





 報恩講は、地域によっては季節の行事として定着しています。また、季語にもなっていますが、浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご命日に門徒が、まるで自分の先祖でもあるかのように、いえ、それ以上の重きをおいてお勤めする仏事です。

 みすゞが、祖母に手を引かれいつもお参りしたのは、浄土真宗本願寺派遍照寺でした。報恩講は、正月明けてのすぐでした。

 現在、遍照寺の仏教婦人会の会長を勤める中谷貞女さんは、お母さんがみすゞさんと同級生でした。もう、亡くなったお母さんから、みすゞさんのことはよく聞いたそうです。「私が子供の頃、遍照寺の報恩講はみすゞさんの童謡のとおりでした」

 「15日のお逮夜の夜は、夜明かしして親鸞さまのご臨終をお偲びしました。それを番というのです。大きな火鉢にあたって子供たちは嬉しくて、騒いで遊んだり、それが楽しみで、その日ばかりはご院主さまも怒られません。本堂で毛布で皆が一緒に寝て、11時頃になると親が心配して帰ります」





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