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024  金子みすゞ そのA
2001年05月

金子みすゞ そのA
by 本多 靜芳

  金子みすゞさんの作品は、「祈りのうたです。それも、人としてこの世に生を受けた時から誰もが持っている、祈りのうた」だと金子みすゞを世に広く紹介した矢崎節夫さんが言われています。

 実は、みすゞさんは、浄土真宗の大変深い土徳(大地に仏教の功徳が染みついていると表現されるほど、仏法が盛んな地域のこと)のある山口県の仙崎に生まれ育ちます。
『つゆ』

誰にもいわずにおきましょう。

朝のお庭のすみっこで、
花がほろりと泣いたこと。

もしも噂がひろがって
蜂のお耳へはいったら、

わるいことでもしたように、
蜜をかえしに行くでしょう。

   ここにある優しさは、相手に強要するものがない優しさです。日常の優しさは、ともすると私の優しさが相手に疎ましく思われることがあります。

 みすゞさんの優しさは、矢崎さんの言われるように「みすゞの言葉は単にやさしさだけではない、それを超えた何かがある」というように、「何か」があります。それを私たちは、みすゞさんの日常生活を通して彼女に染み宿った「仏さまの心」であると頂くことができるでしょう。

 勿論、人それぞれにみすゞさんの作品は受け止められるものですが、私たちお念仏の教えに出会ったものにとって、そこには阿弥陀如来の智慧と慈悲のまなざしを頂いたものの生活が反映していると伺うことができるでしょう。
 
 ある意味で、漁村の生活は、「板子一枚その下地獄」という表現があるように、明日をもしれぬいのちを賭けた厳しい漁の生活ですから、他の地域と比べて、自分のいのちの無常なるあり方を見つめることが多く、仏さまの教えを聴く心が起こりやすい地域です。

 しかし、実際はそればかりではありません。多くの魚たちのいのちを殺す上に成り立つ私たちの姿を、より直接に見つめるご縁に恵まれるからこそ、そこに痛みを感じ、またいのちあるものに対する深い視線を頂けるのでしょう。

『大漁』

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の
大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう。

   かつて、暁烏敏(あけがらす はや)という真宗の僧侶が、仏教青年会で「でも正直者は馬鹿を見ますね」という一青年の問いに、「正直もの、いるなら前に出てこい」と喝破されたことがあったそうです。

 私たちは、「正直者は馬鹿を見ますよ」と聴くと、そうだそうだ、「私みたいな正直ものは損をする」と気づかないうちに、必ず自分は正直の側、善人の側に入るように人々の間に線引をしています。だから、自分は被害者なのだとしか思えません。

 しかし、この暁烏敏の言葉は、まるで鏡のように私のありのままの姿を内側に向かって問いかけてくれます。それは、暁烏敏が外側ばかり見て、相手を裁く人間の目だけで生きているのではなく、自分を見つめる目(それを如来の眼と呼びますが)を頂く生活をしていたからだと思います。

 丁度そのように、みすゞさんの作品にも同じような眼があります。人間の、自分の都合で見ていた時には見えなかった、あるがままのいのちの姿を知らされるところに、同感、同悲していく視点です。

 仙崎は、かつて鯨のとれる港として有名だったそうです。私たちと同じように、無量無数のご縁によって、この世に生まれてきた鯨にも、平等のいのちを見つめた彼らは、鯨のご位牌を作って、鯨の供養を勤めてきたそうです。そこには、いのちを殺さなければ生きていけない人間の業縁を見つめる内側へ向かう眼があったのでしょう。

 みすゞさんの詩は、私にその眼をいつの間にか伝えてくれます。忘れていた大切な生き方を教えてくれるように思われてなりません。

『鯨法会』

鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。

浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、

村の漁師が羽織着て、
浜のお寺にいそぐとき、

沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、

死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いてます。

海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。





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