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027 心霊現象を扱う番組について思う
2002年1月

心霊現象を扱う番組について思う

「最近、人気アイドルが出演している番組内で心霊写真などを扱っている番組があり、子供たちの間でも、心霊的なものが流行っている。そのことによる子供に与える影響というものを考え、何かコメントしてくれないか」という原稿の依頼を受けました。

 たいした考えも思い浮かびませんが、仏教の教えをいただくものとして、私個人の考えを勝手に述べさせていただきます。
 こういったものに科学的、心理的な根拠をしめしても、意味がないことが多いので、最近は考え方を変えました。もし釈尊であれば・・・

村人「お釈迦さま、大変です」

釈尊「どうしたのですか」

村人「見てください、ここに変なものが写っています」

釈尊「・・・これがどうしたというのですか」

村人「だって、俺っちの横に変なものが写っているんですよ」

釈尊「村人よ、これがあなたにとって一度しかない人生、明日尽きるとも知れない命にとって、どれほどの意味があることだというのか」

村人「へ?・・・まぁそうかもしれませんが、そんなこといわれても、怖くて、気になって気になってしょうがないんですよ」

釈尊「それはそなたが勝手に怖いという思い込みを持っているからであろう。すべてのものは本来空であり、あると思っているものに実体はなく、心が生み出しているにすぎない。しかし多くの者はそれに気付かず、その生み出したものに執着し、自分自身を苦しめている。それが今のおまえの姿だ」

村人「そうはいっても怖いものはどうしようもないんで・・・」

釈尊「村人よよくわかった。それでは聞くが、そなたはそれが、なぜ怖いのだ」

村人「だって呪われたりしそうで・・・」

釈尊「呪われてどうなるのが怖いのだ」

村人「殺されたりして」

釈尊「つまり死が怖いのであるな」

村人「そうです」

釈尊「それは、私がかつて四門出遊をした時に、味わった苦しみの一つである。人間には、ほかにも病や老いの苦しみもあるとは思わないか」

村人「はい」

釈尊「そなたが生きているということは、こういった苦しみを持っている存在であるということがいえる」

村人「・・・はい、確かに、おっしゃるとおりであります」

釈尊「今そなたは、この短い時間ではあるが、自分の人生についてはじめて向き合い始めたといえる」

村人「そのとおりでございます」

釈尊「生があるということは、老病死があるということであり、今、この写真を通して、そなたは、普段当たり前に思っていた、自分の生をわずかな時間ではあるが、見つめたであろう」

村人「はい」

釈尊「そのことによって、そなたの生き方は、昨日までの生き方とは全く違う生き方になるはずである」

村人「そんな気がします」

釈尊「その上で、今おまえはまだあの写真のことが怖いか」

村人「あまり気にならなくなりました・・・というより、もっと何か大切なものが人生にはあるような気がします。私にとって一番大切なものはなんでしょうか。是非もっとお話をお聞かせください」

釈尊「村人よ、それではこれからは仏の法をよりどころとして生きていきなさい」

村人「はい」



 最後に一言、テレビ局の番組制作者の皆さまには、是非とも子ども達に与える影響を考慮に入れた番組制作をお願いしたいと考えます。

竹柴 俊徳





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