本の評・紹介ページ


 006   DAIMATSUの斜め読みブックガイド10月号

お久しぶりです。今年五月以降に発行された本から気になったものをご紹介。
一冊だけ五年前に発行された本がありますが、時期物ということで。

書名後の★は、
★★★★さあ10冊買って周囲へばらまけ、
 ★★★必読、
  ★★損はしません、
   ★ぼくは大好きなんですけどねー
  (松本 智量) 


『十四歳 見失う親 消える子供たち』
井田真木子(講談社)
★★★
 10/3の朝日新聞で、差別や貧困を挑戦的に広告表現にして常に論議を呼ぶBENETTONの広告制作者オリビエーロ・トスカーニ氏が次のターゲットとして日本の原宿の若者たちを選んだことが紹介されていました。氏がインタビューした原宿や渋谷の若者たちは「日本の現実を無意識に拒絶し、現実感と目的を失って想像の世界に遊ぶ、こぎれいな悲劇の天使」だった、という指摘に、『十四歳・・・』の一節を思い出しました。アメリカの繁華街の底辺に漂う若者たち(ストリートサヴァイバー)へのケア活動をつづける男性が、渋谷とはどういう街かを聞かされて、こうつぶやきます。「渋谷というのか、その街は。俺は、その街に行ったことはないが、そりゃ絶望の街だな。絶望。絶望だよ。絶望の街だ。その渋谷という街は」アメリカの現在と日本の現在。九十九滴の絶望と一滴の希望を描き出すルポルタージュ。神戸児童連続殺人事件以来、「14歳」をテーマにした本が腐るほど出版されましたがその中でピカイチ。

『ダライ・ラマ、イエスを語る』
中沢新一訳(角川書店)
★★★
 「在庫なし」と話題になった本。実は順調に売れて、三ヶ月で三刷です。内容はロンドンのミドルセックス大学でダライ・ラマがベネディクト会を中心とする修道士やシスターたちに仏教のセミナーを行った時の記録です。聖書の言葉を材料として仏教を語るダライ・ラマ。書名は『ダライ・ラマ、イエスで語る』の方が正しい。ダライ・ラマが一貫して仏教を生活実践の智慧として語るところに教えられるところ大でした。他宗教との対話の実践例としても好著(ただし本としては訳者で損をしているような気がする)。『死者の書』がチベット仏教だと思うのは間違いです。チベット仏教を侮ってはいけません。

『日本文化における悪と罪』
中村雄二郎(新潮社)
★★
 すみません。この本、第一部の日本宗教論と第二部の西田哲学論がなんで一冊に纏まっているのかよくわからないんですが・・・。ということは私が(日本文化論としての)西田哲学を分からないというだけのことでしょう。オウム真理教事件以降、「(オウムを踏まえた)宗教と悪」というテーマではよく親鸞思想が引き合いに出されます(代表が吉本隆明)が、当の真宗関係者がこのテーマで語ることが本当に少ない(吉本氏に応対した山崎龍明氏くらい?)のはちょっと淋しい。中村氏は親鸞思想を日本思想の中の特異な例として挙げながら、儒教・道教の展開形としての日本思想(日本仏教も含め)に興味を向けます。

『「自分の時代」の終わり』
宮崎哲弥(時事通信社)
★★
 一般人(という言い方はなんですが)に仏教を語るのは、僧侶よりも一般人同士の方が遥かに説得力がある、という事実に立って本願寺派では門徒推進員を育てようとしています。しかし、大谷派からは一般人のスター(高史明、亀井鑛、米沢英雄などなど)が続けて輩出されるのに、本派からはまったく出ません。これ、けっこう根深い問題ですよね。ま、本派所属に限らなくても、仏教徒を自称してくれる一般人は、大事にしたいものです。で、ラディカルブディストを自称する新進気鋭の評論家、宮崎哲弥。思想の峻別をしない融通無碍・寛容の仏教からオウムが生れるのは必然、として自らの立つ場を龍樹の中観思想と明確に規定します。山口瑞鳳の影響大。尚、この『「自分の時代」の終わり』という本自体は、時事評論集です。

『信頼の構造 こころと社会の進化ゲーム』
山岸俊男(東京大学出版会)
 「安心」を求める集団主義は信頼を破壊する。世の中で最も信頼できるはずの金融機関は、なぜあれほどまでに国民の信頼を裏切り、逆に総会屋を「信頼」したのか。社会心理学の手法を学べます。

『何が終わり、何が始まっているのか』
山田太一・福田和也(PHP)
★★
 五木寛之『大河の一滴』が書かれる遥か以前から断念の重要さを説いていたのが山田太一。世間にヒューマニストと誤解されているこの人の冷徹でリアルな発言は、まんま、仏教です。

『豊かな社会の透明な家族』
鳥山敏子・上田紀行(法蔵館)
★★
 対談集のため、上田氏の近著の中ではもっとも読みやすく(と言っても読みにくい文章を書く人ではありませんが)、現在進行のトピックスが深められていてお買得。

『黒澤明、宮崎駿、北野武 日本の三人の演出家』
渋谷陽一(ロッキングオン)
★★
 この本、実は1993年の発行。でも黒澤監督死去で次々に並べられた追悼本のどれよりも優れたインタビューです。「黒澤、宮崎、北野」と並ぶ名前を今見ると、あまりにも王道あまりにもメジャー。しかし、この本が出たのは1993年。当時、この三人を並列し、しかも「日本の三人の演出家」と題したところには明らかな違和感が醸し出されたものです。それを堂々説得力あるインタビュー集として世に出した渋谷陽一には、編集者としての天才を感じる。

『アップル 世界を変えた天才たちの20年(上)(下)』
ジム・カールトン(早川書房)
☆☆☆☆☆
 あの時、もし・・・などと考えることは仏教徒の私はまずないのですが、唯一、もし、1985年にビル・ゲイツが提案した、MacOSのIBMへのライセンス供与が実現していたら・・・ということを考えると悔しさで震えてくる。もし実現していたら、ウインドウズは開発されなかったし、現在は世界のほぼ100%のパソコンで、今より数段高機能で洗練されたMacOSが走っていた。それにより何百万のパソコンアレルギーが救われ、何億のパソコンユーザーが恩恵を受けたことか(現在でも、Macへの否定的報道はそのままパソコンアレルギーの温存に繋がっているということを報道関係者は深く反省していただきたい)。ビル・ゲイツの提案を却下した当時のアップルのCEO、ジョン・スカリーの人類全体に対する罪は万死に値すると本気で思う。





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