本の評・紹介ページ


0026 本の紹介   by 本多静芳

2000年の夏
〜石原慎太郎都知事の公式参拝に触発されて〜
2000.08.16

 8月12日付け朝日新聞によると、石原慎太郎都知事は、15日に「靖国神社へ公式参拝」する由です。

 「三国人」発言で、少数弱者に対する排除、差別を明らかに表明し、在日日本人のみで東京、日本を形成する方向を示した石原都知事ですが、今回、さらに新たな戦前体制への基盤を明らかにしたようです。

 新聞では、「公式参拝か私的な参拝かについては、『そういうくだらない識別を今はもうする時代じゃないと思う』としたうえで、云々」と報じていました。
 
 戦後、宗教界で重要な課題となり、また司法においてもなおざりにできない靖国神社公式参拝問題を「くだらない」という言葉で「表現」していますが、今回もこのような受け狙いの言葉で世間的なアピールをしているところに石原都知事の周到さが見える気がいたします。

 『
週刊金曜日』7.28日号には、「黙っていては始まらない」沖縄講演会再録があり、辛淑玉さんが「自分たちの生き方を選べない沖縄は日本の植民地」という趣旨で話をされています。
 すこし紹介すると、
 「今回、石原慎太郎東京都知事は、外形標準課税で銀行を叩きました。銀行は社会的に共感をされにくい人たちです。その次に叩いたのは不法入国した外国人、つまりその言葉によって共感をされにくい人たちをピックアップしました。その延長線上の次になにがあるのか。おそらくアジア系の外国人、その次は社会的に共感されない東京都の官僚です。役人、中間管理職、そしてその次はウチナンチュー、そしてアイヌ。彼が守りたいのは在日日本人だけです。
 (この言葉を私は先ほどお借りしてつかったわけです。そういえば、数年前、本山の朝の法話で在日真宗人の本多静芳ですと言ったら、結構反響がありました)
 そのために多くの扇動を繰り返していきます。私は新しい戦前がすでにもう始まったと感じています」と言われています。

 実は、この辛さんに共感して、永六輔さんとの対談集『
日本人対朝鮮人』光文社、そして『在日コリアンの胸のうち』カッパブックス光文社を読んでいますが、今日、本屋で、『強きを助け、弱きをくじく男たち!』講談社文庫を購入してしまいました。

 余談につぐ、余談ですが、00.8.11の
朝日新聞夕刊に「外国人と理解深め合おうよ」「多文化探検隊」いざ出発「三国人」発言がきっかけボランティア団体など主催という見出しで、「多くの外国人が集まる東京で大災害が起きても、助け合いましょう。異なる国籍の人びとと日頃から理解を深め合いましょう。「共生」をキーワードとするイベント「多文化探検隊」が15日から9月2日まで、新宿歌舞伎町を舞台に繰り広げられる。」「大地震」と「不法滞在の外国人による騒擾」を結びつける内容に、「外国人排斥につながりかねない」と人材育成コンサルタントの辛淑玉さんらが企画した」とあります。
 以下、抄出。開幕イベントは、15日夕のコンサート。喜納昌吉の「花」を各国語で歌い、その後「外国人から見た日本」についての講演、ホームレスへの炊き出し体験、など毎日、4、5本。9月3日に、自衛隊が大規模に参加する防災訓練を都が実施するが、間接的に都の訓練を批判する。問い合わせは、電話03−5524−2642。ホームページは、
http://www.sps-kogasha.co.jp/tabunka/
です。
 それとご存じの方も多いでしょうが、永六輔さんの
大往生』は、この『週間金曜日』に隔週で連載中の「無名人語録」に通じるものです。

 既に、浄土真宗本願寺派、全日本仏教会などは、政府へ閣僚の靖国公式参拝を中止する書面を送っていますが、もう一つ、その送り先が増えてしまったようです。

 もちろん、このような都知事を選出した東京、あるいは日本の宗教意識、あるいは文化状況を自分の抱える問題として問わなくてはならないと思いますが、そのような問題を顕在化しないできた既成仏教、そしてそれを構成する私たちの責任は重いでしょう。


 この15日、私が住職を勤める万行寺では、盂蘭盆歓喜会法要を全戦没者追悼法要と兼修する予定ですが、いのちを国家の誤った政策である戦争を遂行していくために手段化し、さらに、他国の人を殺し、そしてそれらの人が死ぬことを願わなくてはならない戦争を肯定した精神状況を浮き彫りにし、また、どのようないのちを生きるかを問いにできるものが仏教に生きることであったことを集まった方々と共に聞いていきたいと思っています。

 (無論、脳死からの臓器移植も、ある意味で、今までは生きていた状態の人を死んだことにして、そのいのちを手段化する法案であり、また他の人が死ぬことを待ち望まなければならない心情を作りだしますね。)

 もっとも、午前11時からのこの法要が終わったら、できるだけ早く「九段の坂」周辺に行き、平和デモ行進に参列したいなと思っています。

 今年は、案内によると「仮装した姿でのデモ参加」を待っているということですが、法衣姿でいったら・・・?でも、これは仮装じゃないよな。これが仮装なら、法事や葬儀などは仮装大会になってしまうよな。でも、そう見られているかも知れないな。困ったな。
 なんだか、随分、方向違いのところで文章が終わりますが、ご報告まで。






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