『西域 探検の世紀』
金子 民雄 著 |
「十九世紀の末期から二十世紀の初めにかけて、ほんのつかの間のことであったが、中国の西方に当たる西域地方は探検の最も華やかな時代だった。当時はいまだ到る所が地図上の空白域だったから、地理学的探検やら、新しく発見された古代の埋蔵文化財の熱心な発掘調査が行なわれた。それはいまから見ると異常としか見えないほど過熱した発掘競争であった。今日、シルクロードとか西域と聞けば、なにかすぐロマンチックな香りの漂う世界と錯覚されがちであるが、現実の西域は自然環境が大変に厳しく、また政治的にも緊張した所であった。このことは百年以上たった現在でもそう変わっていない。」
(「はじめに」より抜粋)
当時、英国留学中であった本願寺派新門(当時)大谷光瑞師が、1900〜1901に行なわれたA.スタイン(Mark
Aurel Stein)による第1次中央アジア探検の成果を知って、「探検の舞台となった西域、ホータン地方は法顕や玄奘が通過し、仏教が盛んだったとその旅行記に記しているところである。この発掘の仕事は、本来仏教徒であるわれわれの手ですべきではないか・・・と。(本文より)」
その過酷な環境の西域に「仏教東漸の道」を訪ねるため、手ずから所謂「大谷探検隊」を率いました。
著者は、『ジャングル・ブック』で知られるノーベル賞作家R.キップリングの小説『キム』と、そこに描かれる「グレイト・ゲーム」(所謂、英・露の帝国主義的な領土争奪戦に代表される)を折込みながら、近年、「大谷探検隊」研究者たちによって新たに明らかにされた資料などを駆使して、「探検隊」の事蹟を検証していきます。これによって「大谷探検隊」が、当時の英・露による中央アジアでの覇権争いや、日露戦争、辛亥革命など多くの障害など「グレイト・ゲーム」に巻き込まれていった背景が見て取れます。
今年は大谷探検隊100周年にあたります。一読の価値あり。
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北條 祐英 |
POSTEIOS研究会 |
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