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0049 書評


『清沢満之−その人と思想−』

藤田正勝・安冨信哉編
(法蔵館、2002年)


  親鸞の思想を近代によみがえらせた清沢満之(1863〜1903)の百回忌にあたり、その思想の現代的意義をとらえ直す『清沢満之−その人と思想−』が出版された。編者は藤田正勝京都大学教授と安冨信哉大谷大学教授である。
 編者の言葉にもあるように、幕末から明治へという激動の時代に生きた清沢満之の生涯をふりかえりつつ、その思想の現代的意義を検討している。

 その内容は、T「人と思想」、U「哲学者・清沢満之」、V「満之とその時代」、W「精神主義とは何か」の4章からなる。
 清沢満之研究の第一人者から新進の若手研究者まで総勢15名が、宗教学、哲学、思想史学、教育学、真宗学など幅広い立場からアプローチした清沢満之論であり、格好の清沢満之入門(論集)になっている。

 清沢満之入門という意味において、初めて清沢満之の人と生涯にふれる人には、脇本平也「清沢満之の生涯とその時代」から読まれるのが良いだろう。
 また、清沢満之の現代的意義については、寺川俊昭「近代教学の確立者・清沢満之の歴史的意義」をおすすめしたい。

 本書の執筆者には、「幕末から明治という激動の時代を生きた清沢満之は、仏教的伝統の意義を追求し、その伝統の回復を世に訴えるために、その思想確立の方法として批判精神と合理主義を強烈に貫いた、まさに近代における親鸞の証人である」との思いが通底している。
 それは、「概して言えば、清沢は『主観的信仰』に自閉して現実批判の契機を喪失したとして批判されている」(久木幸男『検証 清沢満之批判』法蔵館、1995年)との清沢満之批判を真摯に承け、さらなる清沢満之理解の深化と現代的意義を再検討しようとの願いの表れとも理解することができよう。

 そのような意味において関心を引いたのは、竹内整一「清沢満之の想念と超越」である。
 竹内は、清沢満之の「精神主義」と同時代人である田山花袋の「自然主義」とを比較して、田山の「自然主義」は「自然」と「自己」、「おのずから」と「みずから」との同定・連続すべきことの主張であり、それは「おのずから」に「みずから」を放棄・解消させ、自己弁護ないし現実の無条件容認主義に堕している。
 しかし、清沢の「精神主義」は「おのずから」の働きは、どこまでも「みずから」のはからいの外なるものであり、自然の「然らしむる」働きは、絶対的に〈他〉なる働きとして、甘えや同一性と対立する緊張した視点、すなわち「『おのずから』の〈他〉性」があったと指摘している。
 その内容はやや難解であるが、清沢の「精神主義」理解のみならず、親鸞における社会的実践と「自然法爾」理解についての、新たな方法論の可能性をはらむ見解といえよう。

 その外にも本書には、井上円了、内村鑑三、清沢満之らはみな佐幕藩士族の出身である(脇本平也)。現代の日本人には「求道」という視角が失われかけている、清沢満之や内村鑑三は求道の場に立って信仰を求めた(加藤智見)。清沢満之の「不如意」の自覚には修正しなければならない点があるのではないか(田代俊孝)。智慧に目覚めること、あるいは悟りを獲得すること、それが仏教の目覚めであり、それへと到達するときの修練を精神主義という、だから精神主義とは覚醒の倫理である(今村仁司)。清沢満之が担った課題は、自らの思想を仏教や真宗教学の言葉を用いず、当時において新鮮で自由な言葉によって語ろうとした、また、自己の思想の確実性の根拠を経験に求めた(長谷正當)。清沢満之の倫理と宗教との関係の問題の取り上げ方はキェルケゴールと似ている(マーク・ブラム)。西田幾多郎、鈴木大拙と清沢満之、暁烏敏らの交流について(藤田正勝)。清沢満之と高木顕明は、近代という時代の課題を真正面から見据えて新しい「社会倫理」を模索した(阿満利麿)。浩々洞こそ真のサンガであった(大竹鑑)。清沢満之や沢柳政太郎は単なる理想主義者ではなく、それぞれが信念に基づいた実践家であり思想家であった(竹本英代)。清沢満之は文明の物質的進化に対して、仏道とは何かを問い、仏道の問題を精神的進化として対峙させた(神戸和麿)。清沢満之において内観は、けっして自己に閉塞するという受動的行為ではなく、同時に他者に開かれていくべき能動的行為であった(安冨信哉)。清沢満之と浩々洞同人の女性観(福島栄寿)など、興味深い内容が多々ある。ご一読をおすすめしたい。

 清沢満之論の今後の課題という意味において、一言私見を述べさせていただきたい。
 それは、「宗門内(東本願寺)ではウルトラ有名人、宗門外ではほとんど忘れられた思想家という清沢満之のイメージのずれ」、すなわち「イメージ・ギャップ」(今村仁司『現代語訳 清沢満之語録』岩波現代文庫、2001年)の問題である。
 思うに、この「イメージ・ギャップ」の問題は、清沢満之理解の方法論の問題である。
 すなわち、これまでの清沢満之論は、白川党(注1)の教団改革運動の挫折、そして精神主義の唱導による教学の革新という、「運動の挫折」から「教学の革新」へという時系列にて語られてきた。
 この清沢の「教学の革新」は、やり直しのきかない、一度きりの教団史たる「運動の挫折」を必要条件としたものであり、清沢の「教学の革新」に「運動の挫折」は必要不可欠のものであった。
 この「運動の挫折」を自己の課題として担おうという宗門人にとっては、「大谷派なる宗門は、大谷派なる宗教的精神の存するところにあり」と、「運動の挫折」から「教学の革新」の必然性を了解することも可能かもしれない。しかし、宗門外の人にとっては、この「運動の挫折」は、必ずしも必要不可欠のものではない。
 宗門外の人には「『歎異抄』の再評価をした清沢満之」「独自の宗教哲学を構築した清沢満之」で、「教学の革新」を了解するに充分でもある。だが清沢は、哲学的思索的立場から仏と法の真実性を弁証する「教学の革新」には甘んじなかった。

 清沢は、仏と法の真実性の弁証を僧(僧伽)において証しすることこそが、求道者として教法と教団を自己の課題として担う、仏・法・僧の三宝帰依の証しであると考えた。
 つまり「イメージ・ギャップ」は、どのような立場に立って浄土真宗を理解するかという、真宗理解の方法論の問題による。

 さらに、この「運動の挫折」と「教学の革新」は、白川党の教団改革運動の挫折や、清沢の「精神主義」をのみ指す言葉ではない。三宝帰依の僧伽論に立つ以上、この「運動の挫折」と「教学の革新」は、真宗者にとっての今日的課題でもある。
 すなわち、本書所収の福島栄寿「もうひとつの『精神主義』−仏教婦人雑誌『家庭』をめぐって−」に指摘されるように、今日的人権水準から見れば、清沢たち浩々洞同人の女性観の限界は明らかである。
 真宗大谷派の「同朋会運動」が清沢満之の精神を引き継ぎ、「男女両性で形づくる教団」を願うのであるならば、「近代教学」と「同朋会運動」の自己批判的な検証が要請される。
 その意味からも、「運動の挫折」と「教学の革新」を現代思想の水準からトータルに課題とする視点が、今日の私たちに要請されているといえよう。

(注1)白川党  1896年,清沢満之が洛東白川村に一戸を借りて,同士とともに始始めた東本願寺の宗政改革運動の集まりを称した.

池田  行信
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