ノンフィクション・エッセイ。
テレビ制作会社のディレクターだった森氏は、地下鉄サリン事件後の教団に密着取材し、ドキュメンタリー映画「A」を制作しました。
事件の忌まわしい記憶に、日本人は「オウム真理教」のすべてに拒否反応を起こします。しかし冷静に取材する中で見えてきたものは、「殺人狂や残忍な集団だから事件が起きたのではなく、優しくて善良なひとたちだからあの事件は起きたの」ということだったそうです。そして、オウムを取り巻く“善良”なる市民による人権侵害の数々。さらにそれは、9.11の同時多発テロと共通する構造であると指摘します。
筆者は言います。「人とは善悪の二元論で単純化できるものであろうか」と。
「オウム信者も、アルカイダもタリバンも、イラクのバース党員も北朝鮮の工作員も、皆ひとりひとりは、笑い、泣き、怒りながら日々の生活を営む生活人。たが、そうした他者に対する想像力を失うとき、人びとの間に悪夢のような憎悪の連鎖が生まれる」(巻頭の言葉より)
この他にもドキュメント「ミゼットプロレス伝説」取材からの考察やエッセイの数々に、時間が経つのを忘れ引き込まれます。いかに我々は想像力を失い、“善意”という凶器を振りかざしていたかと。是非ご一読ください。
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