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105 西本願寺、失効の「宗令」


 

  04、5、24の「宗門の「戦後問題」への対応について(ご報告)」について

  5月25日の日経朝刊社会面にも報道されたように、浄土真宗本願寺派は、「戦争協力呼び掛ける通達失効の「宗令」」を出しました。日経の報道によれば、

「浄土真宗本願寺派は24日、戦時中などに門徒に発布した戦争協力を呼び掛ける通達などを失効させる「宗令」を出し、全国約1万4百の末寺に通知した。
 同派は2003年、戦争責任問題を解決するため、内閣に当たる総局に委員会を設置。議論の結果、通達などは誤りだったと認め、約60年ぶりに戦後問題にけじめをつけた。
 同派は1931年の満州事変から45年の太平洋戦争敗戦までの間、僧侶や門徒に積極的な戦争協力を呼び掛ける「御消息」と呼ばれる大谷光照門主(当時、02年死去)名の通達を60通発布した。御消息は宗祖・親鸞の教えとされる「御聖教」に準ずる効力を持つ。総局は、御消息は「国策としての戦争に協力したもの」と認め、これらの文書を「慙愧の対象」とする見解を発表した」

とあります。


  本願寺派の一般寺院に届いた「宗門における「戦後問題」への対応に関する総局見解」には、昭和の15年戦争で宗門が発布した@消息などの取り扱い、A聖徳太子奉安様式、B聖教の拝読並びに引用の心得、などは、当時の国策である戦争に協力するものだと認めるというのです。そして、@は依用しない、つまり拠り所として法話などで用いないことを宗門内外に周知する法的措置を講じ、ABはすでに1946年の宗門最高法規である「浄土真宗本願寺派宗法」で既に効力を失効しているといいます。
 確かに、本願寺派主催の大谷本廟戦没者追悼法要や国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑全戦没者追悼法要などで、平和への強い願いを全国・全世界に徹底しようとする決議や、門主による宗門の戦争責任が表明されています。しかし、いくつもの課題が残されています。

  先ず@は前門主の名前で出された教団による戦争協力を勧める文言ですから敗戦後、それを用いることは憚られるという形でバイアスがかかり自己制御がなされたのは当然でした。
 しかし、Aが果たして失効されていたかというと、門主の巡教の際、当局のよる事前の本堂荘厳確認の時、この奉安様式が満たされていない場合の指導は、「失効」に基づいていたとは決して言えません。
 Bに関しては、戦時中の教団教学の影響をどのように受けたかによって、戦後、人によって教学理解の幅には大きな差異が生じていると言えるでしょう。

  何故戦後60年もこの通達が出来なかったのでしょうか。無論、敗戦直後には様々な問題が教団にはあったと想像できます。
 かつて東京裁判の石垣島事件裁判で、投降したアメリカ兵を斬首などして殺した日本兵は人権保護に関して、自主的判断が出来なかったという理由で断罪されましたが、ある意味で戦争に振り回されたとも考えられています。イラクの刑務所で残虐行為を犯した米兵も権力に振り回されたのでしょうか。すると教団も戦争に振り回されて来たのだという論議になります。しかし、そうした見方だけで終わると主体的な責任問題が曖昧なままになります。
 例えば天皇の戦争責任は、日本社会ではなかなか論議に上りません。同じ様に当時の「御消息」を出した前門主を教団としては扱いが難しいという議論で終わってしまうような雰囲気があります。
 よく考えると門主の消息は戦時にしろ現在にしろ門主の名をもって宗門の意思を明らかにする働きを持っているものだと思います。しかし責任は門主だけではなく時の総局にあることは自明の理だと思います。
 ところが、こうした戦争問題を表面化して責任を論じたら前門主様に申し訳ないという言い訳をすることで、言い換えれば門主を盾にして宗門の当局が責任を回避してきたと考えられるのではないでしょうか。さらに言えば、一般僧侶も、同じ立場に立って責任を回避したと自らが問われるのだと思います。
 靖国の問題が未だに僧侶と門徒との共通の話題になり得ないのは、大谷家を護るふりをして自己保身をしてきた私たちの宗門、そのものの体質に責任があるといえるのではないかと思います。
 今年は前門主の三回忌を6月に迎えます。三回忌という御仏事をお迎えする時になって始めてこのことが表明できたと受け止める教団内の意識もあるでしょう。
 改めて法事は、社会の通念である「禊ぎ」なのだろうかと問われます。「世間通途の儀」は世俗的な意味で教団経営や存続を考える時に無視は出来ないでしょう。すると法事を「禊ぎ」のように受け止めることは、形を整えて自己の責任は回避するということになりかねません。

  しかし、こと問題は真宗の原理的な根幹に関わることです。今回の(ご報告)の中にも、@ABの「これらの文書を慚愧の対象とし、全てのいのちを尊ぶ宗門として」という表現に見られるように、基本的な立場に関わる問題であることは言うまでもないでしょう。
 昨年、イラク特措法に対して強い反対の決議をした宗門の立場は、ある意味で今の社会ならば戦争反対の決議は受け容れられるという政治的なバランス感覚で成り立ったのではないでしょうか。今回の(ご報告)も、同じような政治的なバランス感覚の中で、いわば政局の道具として宗門の内外に受け止められては残念であり、悲しいことです。
 (ご報告)では「戦後問題」とありますが、それは、戦時中問題でもあり、戦前問題でもあり、宗祖の時代直後からの問題でもあり、さらに今の私たちの問題でもありましょう。
 これを機会に何が今、念仏に生きようとするこの私に問われているのか、見つめなおし、この文書を出した責任そのものを私たちの課題にしたいと思います。
 真宗を回復する道に、共に歩み出るために。


(万木養次)