小泉首相の靖国参拝問題は、中国での反日暴動を契機に新たな展開を示している。
これまでと違い、首相をはじめとする右派勢力にとり、靖国参拝について外交問題として取り上げられることを追い風として利用しようとしているきらいがある。外交上の駆け引きの材料として、その勝敗が国益に作用すると言うような論調まであるのである。
首相の靖国参拝問題は、外交問題ではない。むしろ国内問題としての信教の自由と政教分離の問題である。
基幹運動は常に靖国問題に取り組んできたはずである。この問題が、時の話題になっている今、宗門はなぜ発言をしないのだろうか。強い疑問を覚える。 宗門はこの機に、社会に対して積極的に発言をし、一般の論議を喚起すべきである。
発言をしない理由は、まさか、いわゆるヤスクニ圧力に対する恐れから来るものではあるまい。
社会の動きに対する反応が鈍い宗門の体質も原因しているのだろうが、むしろ、宗会選挙による宗務の滞りが一番の原因であると見るべきだろう。
そして、もう一つの大きな要因は、3年前の中央相談員解任問題の折に、新たな国立の追悼施設の賛否が争点となり踏み絵のような存在となってしまったことにもあるのだろう。 宗務機構の中で一番敏感に反応すべき基幹運動推進本部そのものが、ことこの問題に関しては柔軟な論議ができにくい状況なのである。
しかし、今はそのようなことを言ってはいられない。宗門は社会に対して、首相の靖国参拝の問題性を明らかにし、宗門内で門徒を巻き込んだ論議を展開していくべきである。速やかな取り組みを求めたい。
|
群生海 2005.6.16 |
|
|
|
|
|