親鸞聖人750回大遠忌法要の円成に向けての総局巡回が実施されました。法要への宗門内の手続が進められていきます。東京教区でも9月15日築地別院で総局巡回が実施されました。
そこに参加しての印象を一言で申し上げますと、260億の予算がどうして必要なのかがよく分からないという一点に疑問が集中してしまいます。ましてや、総長は、全体協議会の中で「260億という金額が多いか少ないかわからない」と答弁されました。
計画の概要であらわされている推進事項を見渡してみましても、その項目はほとんどが経常業務の羅列に見えます。750回大遠忌の記念事業の重点(目玉)が見えてきません。各部局への予算のばらまきだとしたら、宗門が賦課制度の改革でめざしている宗門財政の健全化は、12年間は滞ることにもなりかねません。一方で予算逼迫といいながら、長期振興計画の期間のみは一時的にでも潤沢な状況を作るわけですから。
また総長は、蓮如上人500回遠忌の事業は一項目を除いて達成できていると言われました。しかし、それはどのような基準からの達成評価なのでしょうか。予算が消化できていることをもって達成とするならば、大いに不安です。
例えば、蓮如上人500回遠忌の「人材育成事業」でどのような成果が得られたのでしょうか。どのような人材が育ち、現在どのように宗門に貢献しているのでしょうか。500回遠忌記念事業の総括に基づく事業予算説明がなされれば、納得が早いと思われますが、それはなされませんでした。総長は、何年か毎に事業の見直しを実施すると言っていましたが、各部局が一度獲得した予算を返還することは考えにくく、事業によっては予算消化が目的となってしまう可能性を捨てきれません。
従いまして、懇志を集める立場に立つ時に、もっと分かりやすい具体的な事業計画を示していただきたいと思います。750回大遠忌の事業が子々孫々に語り継がれるような事業となるならば、懇志の収納は間違いなく増えると思います。今のままでは不安ばかりが残ります。
また、収支計画の収入の部で1款3項の特別懇志の中に宗務員が含まれていることに疑問をもちました。宗務員に特別懇志を科すということは、その趣旨はともあれ雇用者側からの強制的な給料の減額にも等しいことであると思われます。それでは事業の運用に携わる宗務員の士気が下がるのではないかと心配します。宗務員は僧侶がほとんどでしょうから、一般懇志と二重取りにもなりかねません。まさか、その分を回収しようとする者はいないと思いますが、健全な運用に疑問を持たれるような懇志は廃止すべきだと思います。
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群生海 2005.10.01 |
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