宗門の財政はどうなっていくのでしょうか。この度の宗会でも、財政の問題が大きく取り上げられました。その問題点を検証してみたいと思います。
1.護持口数の問題
護持口数の改訂では、いささか強引な特例措置という伝家の宝刀により切り抜けることとなりました。またもや当初の抜本的な改革はどこかに飛んで行ってしまい、傷口に膏薬でも貼るかのような措置になってしまいました。
そもそも賦課制度の改正で目指したことは、宗派の固定財源である賦課金総額が年間予算の13%でしかない現状を憂いて、健全な宗門財政を築くことにありました。護持口数の改正についても、宗派の説明するはなはだ曖昧な表現である「不公平感の是正」が主目的であったとしても、そこには賦課金の値上げが前提であると誰もが感じていたことであります。
ところが、宗門行政当局が行ってきたことは、数字上の改正を無事乗り切るために奇策を弄してきました。まず、目標総口数を現状に近づけることにより、多くの教区に値下げの印象を植えつけました。当初の東京教区護持口数調整委員会で、全教区の目標護持口数一覧表を見た委員のひとりが、「この目標数値の立て方では、目標数に到達しない可能性が高い」と指摘しましたが、案の定、口数が増加した教区の反発は強いものでありました。
次に、護持口数とりまとめ最終段階での、単価の発表と護持口数に対する賦課比率の値下げです。この措置は、現場を混乱させただけでほとんど効果はありませんでした。
その結果、当面は賦課金の値上げという所期の目的をまったく行うことができなかったばかりか、今回の宗会で、寺院の自己申告を前提とする懇念であっても、宗派からの強制力を行使できるという悪しき前例を作ってしまいました。
2.門徒講普通講金の算定根拠の問題
この度の宗会で、門徒講普通講金の特例措置が、慣例により、長年に渡り継続され多額の未納金が生じていたことが明らかになりました。護持口数の調整にあたって、公平な負担とか不公平感の是正との言辞をもって、強引に押し進めていた総局が、そのことに気づいていなかったとは言えないでしょう。
3.特別門徒講金の減収が予測される問題
親鸞聖人750回大遠忌の募財がはじまり、特別門徒講金が大幅減収となることが予測されています。大法要の募財がはじまると毎度問題になるこの問題、なぜ同じことの繰り返しが起こるのでしょうか。
「大遠忌懇志進納ご依頼書」に添付された文書を見たとき、前回の反省は生かされていないと感じた僧侶が多かったのではないかと思います。
前回蓮如上人500回遠忌のときにもこの問題が指摘されておりました。それにもかかわらず同じように永代経扱いが行われるということは、経常会計の数字上では逼迫しているようには見えるが、トータルで考えれば支障はないとの経験が生かされていると考えるより他ありません。財政当局は、このことに対し特に支障を感じていないということなのでしょう。
4.さきぼそる宗門振興推進金庫
宗派にとりまして貴重な積立金であります宗門振興推進金庫から、経常会計や大遠忌会計へ多額の回金がなされ、このままで推移しますと数年で底をつく状況になってきています。そもそもこの金庫の源資は、蓮如上人500回遠忌事業の余剰金であります。門信徒からの篤いご懇念を、経常の経費で食い尽くしてしまうことになります。
ここで見えてくることは、宗門の財政が大法要の懇志により支えられているということです。経常会計が破綻気味であったとしても、何年かに一度の大法要で持ちこたえることができるのです。言い換えれば、総局が無能無策であったとしても宗門を維持できる態勢がいつの間にか出来上がっていたということなのでしょう。ただし、これは過去の話。これからはどのように展開していくかわかりません。
この度の宗門長期振興計画からは、750回大遠忌の目玉となる事業が見えてきません。どれを見ても経常事業の延長線にあるものばかりが羅列されています。法要が終わったあと大金を集めはしたが、篤い思いをもって懇志を納めてくださった方々に、どのような印象が残るのでしょうか。
骨太の計画が練り直されているというところに期待をするより他ありません。
経常会計の健全化を図るためには、大法要会計とのどんぶり勘定(言葉が悪すぎたかもしれません)から脱却することが第一条件だと思います。宗門長期振興計画をスリム化し、経常でするべき事業は削除して、純粋な特別事業会計にすることが必要だと思います。その上で経常会計では、収入に応じた事業を展開すべきです。経常経費の二重取りのような宗門長期振興計画であったとしたならば、賦課金の値上げは難しいのではないでしょうか。
群生海 2006.3.16
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