小泉前首相のこだわりにより、靖国問題が外交問題との側面から国民の関心を集めました。しかし、より右寄りと目される安倍首相となったにもかかわらず、北朝鮮の核実験実施表明も追い打ちをかけて、靖国問題は政治の俎上から外れていく方向にあります。
おそらく靖国の問題は、またしばらく社会の注目の埒外におかれていってしまうものと想像されます。しかし、国内の戦後処理問題としての靖国問題はなにも解決されていていのが現実です。
宗門としては、個々の信の問題として、靖国の問題に積極的に取り組んできました。基幹運動になってからも連研でも必ず取り組まなければならない課題となっています。
ところが、宗門として、小泉内閣の時に充分な取組みができていたかふり返ってみますと、マスコミでは全くといってよいほどと取り上げられることはありませんでした。個々の動きはあったとしても、教団として有効な取組みができなかったと言わざるを得ません。実に、ふがいないことであります。
連研での取組み、千鳥ヶ淵全戦没者法要など、宗門としての願いを持って靖国の問題に取り組んできてはいると思います。しかし、私たちが一番関心を持たねばならない信教の自由の問題であるにもかかわらず、政治に意見を述べる力が備わっていなかったということだと思います。
安倍首相は、「靖国神社参拝については私の考えを説明し、外交的、政治的に問題化している以上、参拝するかしないかについて申し上げない」と玉虫色の解決の方向性を示しています。すなわち国内問題としての靖国問題は、現状のままということです。
今回の靖国問題の表面化で明らかになりましたことは、政教分離とは言いましても、政治の世界では靖国神社を唯一の戦没者追悼施設として意識する傾向が非常に強いことです。「靖国カルト」という言葉、真剣に受け止めなければならない事態にきていると思います。靖国神社は、戦後、一宗教法人になりましても、戦没者の追悼において国の戦後処理を補完する機能を持ち続けてきたことも明確になりました。
したがって、玉虫色の姿勢を認めていく限り、国内問題としての靖国問題の解決はあり得ません。靖国問題解決のためには、国の戦没者追悼において、国が靖国神社から決別する政治的手続が必須です。宗門としては、信教の自由、政教分離の原則を保持するためにも、政治に働きかける明確なビジョンを持ってこの問題に取り組んでいかなければならないことと思います。
群生海 2006.10.16
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