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130 院号授与規程について

 2月に開催された定期宗会において、「院号授与規程」が可決され、平成20年4月から死亡扱いによる院号授与を宗門が一本化して行うこととし、各寺院が門徒に院号を付与すること(いわゆる「その寺院号」)を禁止することになりました。

 
いささか唐突の感を否めない法改正です。この背景には、大遠忌懇志の勧募により特別門徒講金が大幅に減り、経常収支バランスが崩れることを懸念しての窮余の措置と見て取れます。

 
中外日報によると、池田行信議員がこの法規の法的根拠に疑問があることを指摘しています。しかし、充分な説明と了解がなされぬまま可決に至っています。今後、法規の施行にあたって一般寺院の反発は免れないことと思われます。

 
特別門徒講金が大幅に減少した背景には、通常ならば特別門徒講金に納入する懇志を、大遠忌懇志の院号扱いに振り替える寺院が多いからです。しかし、宗門の制度がそれを認めているのですから、振り替えている寺院に責任があるということはできません。むしろ、予測できたにもかかわらず、経常会計への影響を正確に読み取れなかった事務当局に責任があるということができます。


 
昨年の免物冥加金の大幅値上げに続く、今回の院号授与規程の改定、宗門は、大遠忌の多大な懇志を依頼していながら、実質値上げの連続です。長期的な財政を考慮しての改定というよりも、その場凌ぎの付け焼き刃的な措置との感が否めません。

 
宗門の財政基盤の確立は、緊急課題であったはずです。賦課制度調査検討委員会では、宗門の確定財源である賦課金が一般会計の13%でしかないことを指摘し、その比率を高めることが求められていました。今回の措置は、その見解にまったく逆行するものということができます。次の宗門の大法要の時には、財政はもっと悲惨な状況になりかねません。


 宗門が、何故に「死亡扱い」の院号に財政的活路を見いだそうとしているのか、理解に苦しみます。10年ぐらい前に「戒名の値段」が社会問題として取り上げられた後、院号も含めて死後法名に対する関心は、一気に希薄になってきています。一般には、法名や戒名に対し懐疑と無関心が主流であり、宗教的意義を強く意識しているひとは少数派です。現在、基幹運動で二字法名の推進が一応の成果を上げています。しかし、一歩下がって、教化や運動の成果というより、社会の無関心が後押しをしているという現実を私たちは忘れてはならないと思います。なぜなら、「真仏弟子の自覚」をもって法名を名乗る場面は皆無に近く、「仏弟子の名乗り」との表現自体が僧侶の側の自己満足の言葉としてしか機能していない現実は否めないからです。そのような中、財政的な理由のみで、宗門が死亡扱い院号に、より積極的に関わろうとすることが、教化面でどのような影響をもたらすか心配ですらあります。


 
特別門徒講金の納入状況は、地域により大きくバランスを欠いていると聞きます。事務当局は、バランスの観点から、より広くより多くの講金を集めるべく今回の措置を考えたのだと思います。しかし、実質的に一般寺院の運営に深く干渉をするこの法規は、運用が極めて難しいと思われます。今回の措置がどこまで一般寺院の理解を得られるから不透明であり、実効をあげるためにはより強い強制力か必要になることと思います。罰則規定はないとのことですから、規則の運用について実質的にはゆるやかなものとなるかもしれません。結果としては、不公平感がより強まるだけと予測されます。


 
極論かもしれませんが、特別門徒講金は永代経扱いのみとし、本山の院号下付は廃止して、院号収入分に相応した比率で賦課金の値上げを求めるぐらいのことをしないと、抜本的な財政改革はできないのではないかと思われます。

群生海 2007.02.01