9月13日に招集された臨時宗会は、20日本会議において『宗制』改正を可決して閉会しました。
『宗制』は、宗門における最高法規であり、国で言えば『憲法』に相当するものであると言われています。旧『宗制』は、昭和22年4月1日施行され、修正の議論はあったものの今まで改正されずにきました。
今回の改正の要点は、ひとつには、戦時など時代を反映した消息をも聖教と扱わなければならない「歴代宗主の撰述(消息)を聖教に準ずる」とする規程を外すこと。 二つ目には、旧宗制の「宗風」にありました戦時教学を支えた「誤った真俗二諦」的表現を改めることにあったと思われます。
それに伴い、本宗会では『宗制』の全体的な構成の改変がなされました。
今回『宗制』改正に至るまで、宗門内の意見聴取が行われ、各地区で公聴会も実施されました。しかし、論議が盛り上がることはありませんでした。そして、宗会の論議は、一般僧侶には聞こえて来ない現実があります。 「『宗制』って何」との初歩的な疑問さえもわからずじまいで終始してしまった感があります。
教義(dharma)を政治的な法規で表現することへの違和感、歴史という現時点での学問的成果を法規に盛り込むことへの違和感、など疑問はあります。 この度の改正は、『宗制』という宗門における最高法規が、現状に見合ったものに改められたというところに意味があると理解するべきなのだと納得するしかありません。
新しい『宗制』を一読して思うことですが、宗門が現代社会にどのように関わるのかが明確には示されていないように思われます。 宗会では、門主の消息発布を宗法で位置づけることで決着したようですが、『宗制』という法規の存在意義が、もう一つよく分からない理由はこのへんにあるのかもしれません。
|
無憂樹 2007.10.1 |
|
|