10月29日に宗会が解散となり、12月7日に選挙が実施されました。今回の解散と選挙は一体なんだったのでしょうか。
この間、ポストエイオスとして情報を発信することができませんでした。宗門内において情報公開が進まない中で、公正中立にして的確な情報を流すことを目標に記事を書いてきましたが、残念ながら選挙の渦中に呑み込まれ、さらに選挙規定の壁にも阻まれてしまった感があります。
不二川総長は、12月10日付の『本願寺新報』に総長談話を掲載し、大遠忌決算の不承認を受けて木下宗会議長の議会運営に重大な宗門法規違反があったと断定し、解散の理由を、襟を正す意味から「宗門世論にその判断を任せる」としています。
ところが、事実は、財務特別委員会で不承認とされた議案をそのまま本会議に提出したあげく、否決されてしまったということであります。議会運営としては議長の判断に問題はないと思われます。当日散会後、総局より議長に「総局員と特別職を賛成とカウントすべき」との申し入れが行われました。しかし、議長は、本会議の採決を変更しませんでした。総局員と特別職が本会議において採決に参加しなかったことは、総局側の判断ミスとしか言いようがあません。議長に責任を被せるのは筋違いです。総局の強気の作戦が裏目に出てしまったということになります。
この度の総長談話の内容は木下議長に対する個人攻撃ともとれる不適切なものであり、このような文章を宗門の広報誌である『本願寺新報』に載せたことは、道義的に大いに疑問を感じます。
全国の門信徒からいただいた浄財が適切に運用されていないのではないかとの疑問に、明確な対応がなされないから、財務特別委員会は決算を不承認としたのです。宗会議員として、うやむやなまま本会議で承認をしてしまうことは、行政に対してチェック機能をもつ立法府としての責任を放棄したことになってしまいます。
ところが、宗会周辺から漏れ聞こえてくる情報は、少々異なります。大遠忌が2年半後に迫っているにもかかわらず、宗会は、総長と反対勢力とが政治的駆け引きに終始しているとの情報です。宗務員をはじめとしてその周辺は辟易しているとのことであります。
京都でどのようなことが行われているかは判りません。正論だけでは通じないものがあるのかもしれません。
「親鸞聖人750回大遠忌についてのご消息」が発布されて丸4年が経とうとしています。その事業が遅々として進んでいない印象があります。行政でできるはずのことが進まないということは、総長に指導力や求心力が不足しているのではないかと勘繰ってしまいます。それだけに、この度の解散には驚かされました。まして、総長談話の「宗門世論に判断をお任せしたい」との言葉には、その裏付けに相当の自信があるとの印象を持ちました。小泉元首相の郵政解散の時のように、反対勢力のいる各選挙区に強力な刺客を送るのではないかと想像を巡らしてしまいました。
選挙は、12月7日の日曜日に実施されました。選挙期間は、別院や一般寺院の報恩講の時期に重なりました。総長の意気込みに反し、選挙が行われた地区では非常に迷惑な選挙との印象が強かったのも事実です。ある組長は、今回の選挙でよかったのは毎年配布に苦労するポスターと手帳を投票日に各寺院に手渡すことができたことだけだと語っていました。
選挙の結果は、無投票の選挙区が多く、また選挙が行われた選挙区でも態勢にほとんど変化はありませんでした。ほぼ一月半、宗務が滞りました。解散が正しい判断であったかどうか、15日から開催される特別宗会でその正否が明らかになることと思います。
特別宗会で、宗門の展望が大きく開けることを期待したいと思います。
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無憂樹 2008.12.16 |
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