2000/02/01
「鬼」考

 「鬼」は恐ろしいものであるはずですが、一方でなんとなく愛嬌(親しみ)を感じるのは、『桃太郎』などの昔話に登場してきたり「鬼ごっこ」でよく遊んだからでしょうか、それとも「鬼に金棒」「鬼が笑う」「鬼のかく乱」「鬼の目にも涙」などの言葉がよく使われるからでしょうか。

 ところで、「鬼」は陰陽道によると、北東の方向すなわち丑寅の方向に住んでいるとされ、それを鬼門といい、忌み嫌われています。鬼が牛の角と虎の皮のふんどしをしめているのはそこからきているのですね。ちなみに、丑寅に相対する方向が申酉戌(猿、雉、犬)ということで、これまた面白いことです。京都の鬼門は比叡山方面で、そこに寺を建てて鬼を鎮め、都の平安を願ったといわれていますが、大阪の鬼門は守口方面で、その関係からか土地の値が安かったそうで、そこに目をつけた松下幸之助氏が工場を建て「世界の松下」を築きあげたという実話は、因果の道理に生きる仏教徒にとって、全く溜飲が下がる思いがいたします。

 さて「鬼」は実在するのでしょうか、しないのでしょうか?「いるわけないでしょう」という方が多いと思われますが、時々「鬼婆」とか「仕事の鬼」と呼ばれる人がいますよね。いやいや、それどころではありません。次の歌を見て下さい。
 みな人の 心の底の 奥の院
 開帳すれば 本尊は鬼

どうですか、ドキッとしませんか?

 昔、真宗の女性門徒は、寺参りをする時にかならず白絹でできたかぶり物をつけたそうです。現在では、それは婚礼の時に花嫁がかぶります。そうです、「角隠し」です。なぜ、お参りの時そんな物をつけたのでしょうか?
 女性だけではありません。妙好人として知られる島根の浅原才市さんは、自分の合掌してる姿の肖像画に、「自分に似ていない」といって、二本の角を描き足してもらっています。そして、
 じゃけんなり あさましなり 鬼なり
 これがさいちがこころなり
 あさまし あさまし あさましや

とうたっておられます。

 さあ、「鬼」はどこにいるのでしょうか。そして、その「鬼」の正体を見抜き、片時も休も休まず「鬼」に寄り添って下さるものは…?
 「鬼は外、福は内」
 浄土真宗では行われない節分にちなんで、「鬼」 について考えてみました。

 あさましや さいち こころの火の中に
 大悲のおやは 寝ずのばん
 もえる機を ひきとりなさる おやのお慈悲で
                              浅原才市


南荘 乗宏 

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