2000/04/10 |
「身勝手な私」 |
私は歴史の専門家ではないから、正確な議論の流れに精通しているわけではないが、今まで私たちが慣れ親しんできた世界史は、ヨーロッパ中心、西洋文明中心の見方に偏りすぎているのではないかと近年反省が促され、それ以外の視点からの研究が盛んになってきているようである。我々素人にもわかりやすいのは、コロンブスによるアメリカ大陸の「発見」、いや失礼、「アメリカ大陸への到達」であろう。高校の歴史教科書はどうなっているのかと先日調べてみた。物置から探し出したおよそ20年前の山川出版社の世界史の教科書では、「アメリカ大陸の発見」という見出し項目が見られ、「コロンブスによる発見に刺激されて」等々の表現が散らばっているけれども、同じ山川の1997年検定済の教科書では、「新大陸への到達」という見出し項目に取って代わられ、本文にも「サンサルバドル島へ到着した」などの表現が見られ、どこにも「発見」の文字は見出し得ない。確かに新大陸の「発見」などとはアメリカ大陸先住民に失礼なことこの上ないが、高校生の私は些かの疑念を抱いた記憶もない。(尚、私はそこまで言うなら「新大陸」もおかしいと思うのだが、これは変更されていない。)
新大陸にまつわる、もう一つおもしろい話を聞いた。スペイン人征服者ピサロによって滅ぼされたインカ帝国についてである。インカはヨーロッパ人到達以前の南米で大帝国を築き、それなりの文明を誇っていたと教えられてきた。しかし、そのインカに対するイメージは過大評価の観があるというのである。過大評価の意図は、インカが大帝国であることを強調することにより、インカによって虐げられていた人々を誇大にイメージさせ、彼らをヨーロッパ人が解放してあげたのだという構図、つまり、ピサロらの征服、残虐行為を少しでも正当化するのに貢献させるためだという。(植民地支配を正当化するためのこれに類する喧伝は、インドや東南アジア諸国の場合にも見られる。) しかし、ヨーロッパ中心史観のみが反省を促されているのではない。中国を見てみよう。私たちは元寇の故か、元(モンゴル)を暴力、破壊、野蛮などのイメージで語ることにそれほど抵抗感を感じない。しかし、そのイメージは中国における漢民族中心の歴史観を反映したものと言えそうである。漢民族こそが文明的であり、匈奴やモンゴルは劣等、野蛮であるというイメージ(中華思想)は無意識に染み付いている。野蛮なだけのモンゴルがあれほどの大国家をどうやって建設したというのだろうか。(杉山正明『遊牧民から見た世界史』参照) このように、一方的な歴史の捉え方を批判的に眺めてはきたものの、同時に、我々は結局、ある特定の立場からしかものを見ることができないことを教えられたのかもしれない。そして、これは歴史を見る視点に限ることではない。ボーダーレス化する今を生きる我々は様々な他者と遭遇、交流を繰り返していく。常に、ある特定の視点からものごとを判断しつつ…。 敢えて言いたい。我々にとって大切なことは、常に相手の立場に立ってものを考えてみようとすることではなく、自分は常に特定の立場、それは大抵自分中心の立場であるが、そういう限定された立場からしかものを見ていないのではないかと謙虚に自戒を込めて考えてみることだと思う。相手の立場に立っていると思い込んで自分勝手な解釈や見方を取る人は結構多く、厄介である。思うに、全面的に相手の立場に立つということは不可能であろうし、もし、仮に、自分以外の誰か特定の人の立場に立つことができた場合にも、その立場というものが、その人以外の第三者の立場を傷つけていることも多いであろう。相手を尊重するとは、つまるところ、自分の立場、考え方の限界を知りつつ付き合っていくことではないだろうか。そして、そのことを多くの人に語っていくことであろう。 (アーユス Vol.32より転載)
石上 和敬
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