それは去年の秋のことです。子供会(当寺では毎月第二土曜日開催中)のお勤めが終わり、子供達と本堂の外縁でお菓子を頂いていた時です。ご法事にお参りの方々が黒い服を着てゾクゾクと山門をくぐってきました。それを見てビックリしたように小学3年の女の子が私に向かって
「先生今日は何かあるの、黒い服着ている人がいっぱいくるよ」
と問い掛けてきました。
「今日はこれからご法事があるんだよ」
その子はきょとんとして
「なにそれ」
すると小学5年の女の子(2年前にお父さんを亡くした)が
「わたし知っていいるよ、こないいだお父さんの法事があったもん、亡くなった人のためにするんだよ」
私はこのままではいけないと、みんなにもう一度本堂に上がってもらい
「法事は亡くなった人のためにしてあげるものではなくて、先に阿弥陀さまのお浄土に往かれた方々が,私達のために,ナンマンダブの阿弥陀さまにあらためて出遭って下さいと呼びかけてくださるんだよ、だから縁ある人達がそろってお参りするんだよ」
すると子供達は
「ふーんそうなんだ」
「なんだか難しいね」
「なんとなく分かったようなきがする」
と思ったことをいっていました。
「まあ分からなくてもいいから、ご法事は亡くなった人のためではなくて、私のため、これだけ今日は持って帰ってね、それではみんなと一緒にナンマンダブ合掌させてもらって今日は終わり、また来月ね」
とこんなことがありました。
阿弥陀さまのみ教えを間違いなく受け取ることは,子供達にとって,やさしいことではないかもしれませんが,彼らも,作法(行儀)は素直に受け止めて手を会わせて「ナンマンダブ」と大きな声でお念仏します。その点大人はどうでしょうか?
小さい頃から阿弥陀様とのご縁をいただく、とても大事なことだと思います。先人の方々のご苦労のお蔭でこの私もご縁をいただきました。次の世代の子供達と共に阿弥陀様のみ教えをいただいていければ有り難いことだと思います。
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