もう、十年も前になりますが、スイスのジュネーブに在る信楽寺での、彼岸会法要にお参りしたことがあります。
日本への留学を果たし、浄土真宗の僧侶となられた釈見聖・デュコ一ルさんが導師を勤め、またキリスト教の神父さんから浄土真宗の僧侶となられた釈常念・エラクルさんと私が、内陣で向き合ってお勤めを致しました。
その後でスイスの念仏者や、フランス人と結婚した日本女性を前に、デュコール師のご法話がありました。
「彼岸とは、此の岸に在る私たちが、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慮の六波羅密の行を行じて、彼の岸に渡るのが目的です。しかしながら、貪りや瞋りの河にはばまれて行のできない私たちは、「そのまま来いよ」と呼んで下さる阿弥陀さま、その阿弥陀さまのみ教えを勧めて下さるお釈迦さまによって示された南無阿弥陀仏の一筋の道を歩ませて頂き、彼岸へ渡りましょう」と善導大師の「二河白道」の教えを引いてお説き下さいました。 また、親鸞聖人が顕らかにして下さった「念仏成仏これ真宗」のみ教えを簡潔にお話し下さいました。
その頃、私は駐在員の妻として、ルーマニアに暮らしておりました。
保養休暇を利用して、信楽寺の彼岸会法要に参ったのですが、スイスに入ってから三日間、信楽寺にたどり着く迄に何度も、何度も両手を広げ首をすくめるゼスチャーに会い続けました。「エッあの名簿の間違いを、日本では未だ直していなかったの。僕が訂正のお願いをしてから随分になるよ」デュコール師の呆れ顔に何となく日本の僧侶として恥じる思いがありました。
その時、「念仏申すばかりで、貸した金の催促もできなかった親父の為に、我が家は破産の憂き目にあったんだ。念仏一つはもう沢山」と念仏嫌いを、声高に言い募られた方の顔が浮かびました。そして、「何をしても悪が混じりますもの。どうせできない行ですもの。お念仏一つ」を口ぐせに、自分のなすべき手間を惜しみ、結果として多くの人々の手間暇を盗んでも「お陰さま」と口をぬぐっている、そんな身勝手さを突き付けられたようで、顔を上げられない思いをしたスイスでのお彼岸でした。
また、ルーマニアでお被岸の中日に、日本からのお客さまを接待したことがありましたが、あいにく予告なしの断水が始まり、来宅予定時間を睨みつつ、蛇口をひねっては困っておりました。その時本当に、蛇口から水が出るということが、有り難い事だったんだなあと思いました。日本からのお客さまが、「今の日本は何でも当たり前、不自由をしてこそ有り難みが分かって宜しいですね」とおっしゃいました。でも、その言葉は、どこかおかしいと思ったものです。
ご自身は、不自由の無い生活が送れる日本に足場を置いての、短い間の滞在者の発言には、日々の不自由を避けられない者の実感にそぐわない隔たりがありました。それに、物資の欠乏とか断水等は、基本的生活を送る上で解決されるべき事です。当然なされるべき事を棚上げしての精神論は混乱を招きます。
「物があふれたから心が失われた」との言い方や、「何もかも念仏一つ」の言葉には、物の有る無し一つにも大きく左右される私たちの心を傷む思いや、自分が尽くそうとしても尽くし得なかった身を悲しむ思い…そんな大切な思いの省略が大き過ぎて、或いは、省略した部分を忘れてしまっているように感じられます。
キリスト教の神父さんから、浄土真宗の僧侶となられたエラクル師の方向転換は、「極重悪人」といわれた親鸞聖人の深い人間感に驚ろいたことと、その者も救われるという、大きな喜びであったと伺いました。
六波羅密の一つ、人にものを施す布施の行をとりましても、行として完成するには、施した品も、施した人も、受けた人も清らかであること、少しのこだわりもあってはならないと教えられています。
真剣に仏道を歩もうとすればするほど、道の遠さ、自分自身の歩みのおぼつかなさにたじろぎながらも、その時に、初めて聞こえて来るのが「お念仏一つ」のみ教えではないでしょうか。
国や、話す言葉は違っても、南無阿弥陀仏のお働きに気付いたら、やっぱり南無阿弥陀仏とお念仏が出て下さいます。
やろうとして出来なかった六波羅密ではなかった。初めから出来ないと決めてかかる横着な私と知らされた彼岸会でした。そして、この渡る気のない者にも、「必ず渡すぞ」とお念仏は働き詰めなのです。先手の掛かったお念仏一つが聞こえて下さいます。
倶にお念仏の智恵を頂いて、出来ることから始めましょう。
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